邦人合唱曲シリーズへのお誘い ~西村 朗「祇園双紙」
  (シュッツの会便り9月号記事より:一部加筆再構成)


邦人合唱曲シリーズ「祇園双紙」に寄せて
                                   ソプラノ/安藤朋子

今度の邦人合唱曲シリーズで演奏致します「祇園双紙」は、昨秋の邦人・現代シリーズに続いて西村朗の無伴奏女声合唱曲です。

幻想的なハーモニーにのせて祇園の街の華やかさと儚さ、哀感が歌われるこの曲、歌詞は吉井勇の短歌20首です。曲冒頭の「かにかくに 祇園は恋し 寝る時も 枕の下を水の流るる」は、京都の祇園を流れる白川のほとりにその歌碑が立っています。(「かにかくに」とは「とにかく」という意味です。)
「祇園歌集」「祇園双紙」から取られたこの20首には、若い頃から放蕩をし「情痴の歌人」といわれた吉井の、祇園や嵐山に見た女性たちと風景が描かれています。それぞれ大正4年・6年出版の歌集は、竹下夢二による艶なる芸妓を描いた装丁でした。夢二の描く愛嬌のある、或いは少し陰のある女性は吉井の女性像とも重なるようです。

吉井勇は明治19年伯爵家の次男として、祖父が西郷隆盛・大久保利通らとともに維新の志士として活動したという由緒正しい家に生まれましたが、後に夫人の醜聞・離婚により華族の体面を傷つけたとして昭和8年に隠居(家督を譲ること)しています。

吉井は「ゴンドラの唄(大正4年発表)」の作詞者でもあり、それを知った時は意外に感じました。私の持つこの曲のイメージと短歌が離れていたからです。しかし詩を見てみれば「いのち短し 恋せよ少女(おとめ)」と刹那的享楽的で、相通ずるところがあるように思われます。
また吉井は、石川啄木らとともに文芸誌「スバル」の創刊に携わり編集者をしていました。しかし啄木の日記に「スバルの原稿、受持ちの方を一つも集めてゐなかつた」となじられ、また酒に酔い前後不覚となり森鴎外から預かった原稿を失くしかけるなど、実務にはあまり向かなかったようです。
祇園の春の風物詩に「都踊」がありますが、吉井は戦後に再開された昭和25年以降昭和35年に75歳で没するまでその歌詞の作者を務めていました。最後まで祇園に生きた人だったのでしょう。

吉井と、そして西村朗により彩られた京都の花街の趣を、今回どのように表現できますでしょうか。どうぞご期待ください。

【2009/09/18】