1998/3/20
<受難週コンサート、直前!!モーツァルトを語る?!>

(今回の担当:SOP.倉橋史子)

いよいよ「ハ短調ミサ」の演奏する日まで、秒読みに入りました!
三回のオーケストラとの合わせも終わり、あと二日間、体調を整えて本番を迎えるのみとなりました。今回、アンサンブル・シュッツが、冴えに冴えたモーツァルトの音楽を作り上げています!! 特に、アンサンブルのコンサート・マスターの森田玲子さん率いる弦楽器群は、
今、乗りに乗っています!!
今日の練習でも、まるで水を得た魚の様に、しなやかに、そして瑞々しい躍動感で持って、音楽を作り上げていました。合唱団も負けないで、一緒に音楽しているつもりなのですが、今日の所では、軍配はアンサンブルに上がった、と思います!! (うっ、負けてしまった・・。)
でも、アンサンブルと共演(競演?)できる事は、私達にとって最高に幸せな事であり、
誇りであります!!そして、いつも励みになっています。
本番当日は、互角なるか!と、乞うご期待です。

今日は、モーツァルトについて少し思っている事を書いてみようかな、と思います。
でも、私が、モーツァルトについて書き始めると、たぶん止まりません・・・。
それくらい、私の人生において“歴史”のある作曲家の一人です。

ここで、面白いエピソードをひとつ。
私は、高校生に音楽を教えるという仕事もしていますが、ある時、学校での補講授業(放課後に行うもの)で、「さあ、何したい?」と尋ねると、「先生、何か音楽、聴きたい!」と生徒が申します。「それじゃあ」とモーツァルトのシンフォニー40番をかけてみました。(こういう時は、私は必ずモーツァルトを聴かせてみる事にしているのです。なぜかというと・・・必ず、変わるんです、生徒の心の流れが。 不思議なのですが、必ず何かが変わるんです、どんなに荒れた心も。モーツァルトの音楽と、それから映画「サウンド・オブ・ミュージック」を見終えた後の子供達の心に残すものには、真実があるなあ・・と、私には体験で得た確信があるのです。ただ、与えるタイミングというのは、ちょっとコツがいりますが。)
今時の高校生に、モーツァルトのシンフォニーがどの様に聴こえるか・・。
その時、その答えに驚かされました。
何の知識もなしに、「先生、これ、“うれしかなし”の曲やなあ!」と彼女らは言ったのです・・。
モーツァルト。“嬉し哀し”の曲。
なんとも、うまく言い当てている、と感心してしまいました。
こんな答えが返ってくるとは、想像していなかった私は、彼女らの感性に驚き、まさにその通りだ、と「あんたら、すごいね!!!」と感動しまくって(?)しまったのでした。
(しかし、こういう感性豊かな子、本質がわかる子に限って、学校からは消えてしまう事が多いですね。教育現場を深刻に考えさせられます。彼女らも後に学校を去って行きました)
それでは、私が、この“うれしかなし”にとりつかれたお話をしましょう。

笑い話ですが、私が3〜4歳の頃、耳だけで、聴き分けられた作曲家は、バッハとモーツァルトだった、と父が証言します。
(実は、それば〜っかり、聴かされていたのかもしれませんが(笑))
その私がモーツァルトと真剣に取り組む機会が与えられたのは、小学4年生の時。 「きらきら星変奏曲」というのがありますよね?(主題と変奏の12曲からなる小品) その小品を練習した時です。
音楽には、主題と変奏というものがあるという事。「こりゃ、面白い!」というのも、モーツァルトで初めて知りました。更に、音楽する上で、最も大切な事「歌うという事」、器楽でも何でも、常に底には『歌』が流れているという事も!

「そこは、もっと歌いなさい!」とか「もっと、メロディーを歌わせて!」と私は、ホントよく叱られたものですが、幼い私は(鈍くさく・・)「ピアノなのに、どうやって「歌」が歌えるの?」とか「ピアノで歌うってどうしたらいいの?」と理解に苦しむ日々がありました。誰も教えてくれませんでした。きっと教えようがなかったんでしょう。
でも、ある時、目からウロコが落ちた様に、全てを解決させてくれた作品。
それが、モーツァルトだったのです。メロディーの通り、“心”で口ずさむと「歌」になる。その通り歌いながら指を動かすと、それは「歌」になる!うまくは言えませんが、これは、驚きであり喜びでした。
「わかった!!これだ!」とそれが解ってからというもの、
私は「歌える事」の“虜”になってしまいました。「ピアノでも、笛でも、ギターでも、何でも歌える!」。 この発見は子供心に、大きな喜びでした。
歌い手になると以前に、「歌う事」を教えてくれたのは、モーツァルトの音楽だったのです。
そして、中学生時代は、モーツァルト一色でした。何がどうって、ただただモーツァルトのピアノソナタを弾ける喜びで、日々過ごしていました。(ホント、単純でしたよねえ!今でも、その頃の楽譜は何より宝物です)

書けば、きりがない程、熱い思いがいっぱいなのですが、
モーツァルトについて、というと色々な事が頭の中を巡って、大変です。
お許し下さい・・・。

今回の前半のプログラムは、受難週にちなんだ深く重みのある、曲集をお送りします。
後半のミサは、モーツァルトの才能の満ち溢れた傑作で、 例年ならば、バッハの受難曲と取り組むこの頃とは、同じ気持ちでいながら 今回は、イタリア風のミサを演奏する、という趣向になっています。
(来週のマンスリーコンサート(3/25)でのシュッツの「十字架上の七つの言葉」では本当に受難週の祈りの空間をお届けできる事と思います)

未完の傑作、ミサ・ハ短調“グレイト”。
この曲は「ミサ」というには、とんでもなく楽しかったり! あまりに弾んでいたり、オペラチックに迫ってみたり!・・と演奏していても、ビックリする箇所が(奇抜かつ、型破り!?)あったりします。でも演奏していて、まぎれもなく、モーツァルトの心の叫びが聞こえて来るのを随所に感じるのです。
ハッとさせられる様な“斬新な和音”や“転調による色調の鮮やかさ”、“軽快なリズムの運び”は、やはりどこにもない独自のもの。
モーツァルトの“きらめき”をそこに見る思いです。
特に、「Qui tollis」と「Credo」は絶対、聴きもの、面白いと思います!(これは、何を隠そう、実は私の大好きな楽章だったりします・・)

それから、お知らせです!この演奏会の当日、3月22日に、遂に完成しました私達の10作目のCD、シュッツの「カンツィオネス・サクレ全曲」も、会場で発売されます!!
ぜひ一度、手に取って聴いて頂ければ幸いです!(この受難週コンサートの第一部で演奏します「パッション・モテット」も収録されております)
そう、そう、忘れちゃいけませんでした!今回は大パイプ・オルガンも楽しんで頂けるコンサートなのでした!(私達も当日、これを「生」で聴けるのを楽しみにしています。
どんな“音”が降り注いで来るでしょうか!)

あまり演奏される事のなかった名曲。
モーツァルトの熱い思いが詰まっている、ミサ・ハ短調“グレイト”。
私のこの年齢にして(?)、すでに二度も演奏できるなんて!
やはり私は、幸せものだなあ!と思うのです。
(コンスタンツェのために作られたという、アリアを歌う幸せモンです)

天気予報では、22日は少し肌寒くなるそうですが、
どうか暖かくして、いずみホールにお出かけ下さい。

書きたい事が溢れ返って、まとまりのない文章になってしまい、失礼致しました。
多数の御来場、心よりお待ちしております!

大阪ハインリッヒ・シュッツ合唱団
コーア・マスター
倉橋史子

     


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