No.534 '03/12/21

「デューラー」の隠し絵


名古屋ボストン美術館で開催中の「「デューラー 版画展」を20日(土)、見てきました。
「アルブレヒト・デューラー」はドイツ ルネッサンスを代表する版画家の最高峰と言われています。
私は彼の水彩画、油絵も大好きで、ミュンヘンのアルテ・ピナコテークで見た実物との強烈な出会いは今でも忘れません。
その彼の銅版画、木版画を展示しているということで、その日約束していた「名古屋大学医学部混声合唱団」の練習に合わせて見に行くことにしました。

今から約500年前の作品です。
私がデューラーに惹かれるのはその突出した職人業としての細密さ、繊細さにあったと思うのですが、今回見て感じたのはそれに加えて、意外な彼の「人間的な面白さ」でした。
私の目も以前に比べたら、見る対象が少しずつ変化してきたのではないかと実はちょっと喜ぶ体験となりました。

私は彼の理性的、知性的なところに魅力を感じていたのですが、今回はその中に神秘的なもの、官能的なものとの共存を観たんですね。
風俗画や寓意画には一層それらが目立っていました。
また、遊び心も併せ持っていたというのも今回ハッキリしました。
「隠し絵」がその一つです。
山や町並み、岩肌、森といった背景の中に何やら人の顔が見えてしかたなかったのですが、それが実は隠し絵なんですね。
偉大な画家、作家、芸術家の中に、きまじめさと滑稽的なものとの一体化を観ました。

やっぱり「きまじめさ」だけではダメなのでしょう。
多面的要素いっぱいの「人間的魅力」がなければ潤いのないものになってしまうのですね。
なんの分野でも同じだと思うのですが、専門家となれば卓越した技術がなければなりません。
技術がなければ表現できないわけですから。
(デューラーの技術はもう<素晴らしい>の一言です!)
技術を身につける修練や勤勉さといった中から生まれた哲学や思想、その結果とする「物を観る目」の魅力も身につけなければならないということですね。
デューラーの版画を観ながら、「偉大な人間の内部」を探ってイメージが膨らむ私。
芸術家としての生き方、専門家としての資質や条件、私の身の回りの動きとも照らして考え込んでしまいました。

「医混」(「名古屋大学医学部混声合唱団」)、夏合宿以来です。
上手くなっていてホッとしました。
特に男声陣(バス)が良くなっています。
男声の響きが夏に比べて断然整ってきていますね。
女声陣が悪いというわけでは決してありません。男声たちの方が目立って良くなったからでしょう。
これで合唱団としてもスタート点に立ったという感じです。
来月「定演」です。
もう一度練習に行くことになっています。それが仕上げです。
きっと良い「定演」にしてくれると思います。
期待していいと思いました。

No.534 '03/12/21「「デューラー」の隠し絵」終わり