No.623 '06/12/25

少し憂鬱な気分でしょうか


忙しい、忙しいと嘆きとも、グチともとれる言葉を連発してきました。(笑)
実際、ほんとに忙しい(また書いていますね(笑))一年だったのですが、それと同時に様々なことに思いを馳せての悩みの一年でもあったように思います。

「悩み」の方は少し後で書きますが、先ずはアッという間の一年であったと感じる最大の理由から。それは仕事の量では無くその中身にあったんですね。
演奏会やその他の仕事も多かったことは確かなのですが、そのそれぞれの内容の充実度が今までと全く違いました。
やっていて、私自身驚くほどの面白さ、楽しさ、そして「納得」なのでした。

合唱団は「人」の集まり。つまり集まった個性分だけトラブルの源もまた内包しているというわけですが、それらを包み隠して隠蔽しながら暗く対処していくということでなく、「人」としての妙味、つまり叡智の結果を見せてくれた一年でした。
「シュッツ合唱団」しかり、「京都モンテヴェルディ合唱団」、「和歌山バッハ・コール」、女声合唱団「りんどう」、「コーロ羽衣」、そして産声を上げた「名古屋ビクトリア合唱団」、どの合唱団も感動の変貌振りとその充実度です。
一つ一つ書けば、それだけで一冊分になるほどの内容です。もう、色々なシーンが溢れ出てくる連続です。

「SCO」=「シンフォニア・コレギウム大阪」もまたそのアンサンブル力、そして「響き」が今ほんとうに素晴らしいものになりました。
「是非、聴いてみて下さい」と胸を張って言える「弦楽」です。
メンバー一人一人が見事に開花しているという状態です。(ちょっと手前味噌でしょうか(笑)、でも本当にそうなんです)

次から次へと新しい空気が注がれている、そういう状態での練習が続きました。
アッという間の演奏会、アッという間の時の経過、「忙しい、忙しい」と言いながら、そして疲れながら、でもその結果にいつも満足と感動を覚えた一年だったのですね。
一緒に創り出しているメンバーたちの何と神々しいことか!(笑)
とにかく出会えたことへの「感謝」、この一言に尽きます。

では「悩み」「憂鬱」な事とは。
これ、やっぱり私たちを取り巻く環境と申しましょうか、社会情勢といいましょうか、もう落ち込んでしまうほどの状況です。
書くのもはばかるのですが、<いじめ><子殺し><親殺し><不正取引><不正隠匿><・・・><・・・>・・・等々。
その根底に流れる責任感の無さと命の軽視。
もう何も言えなくなってしまう、書きたいとも思えなくなってしまう状態が私の中に起こっていました。
私も決して無関係とは言えないそれらの出来事。
考えれば考えるほど、そして私の周りに起こっている素晴らしい出来事を思えば思うほど、どんどん沈み込んでいくのです。

絶望感というものではありません。
「どうしてよいものか?」考えあぐねるのですね。
「人間」に興味を持つ私です。「人間の弱さ」に共感と怖さと、そして恐れを抱く私。
説明なしのいきなりの言葉かもしれませんが、「怒り」の根源、「優しさ」の根源についていつも思いを馳せます。

・・・・・・。少し憂鬱です。しかし、前向きです。(笑)
私の忙しさは続きます。続けようと思っています。
足下をしっかり見つめようと思っています。そして「感動」を続けたいと願い求めようと思います。未来を見つめて。
発信しつづけること、それが精一杯生きることに繋がり、それが人ともまた繋がることだと信じて・・・・。
今、「発声体操」をまとめつつあります。これが出来上がれば私の発声メトードは一段落付くことになります。
泊まりがけで団員たちの協力を得ながら年末に作成です。

編曲をしたくなっています。(隔年でやってくる私の癖でしょうか。(笑))
私のサウンドが出来ればいいのですが。

来年の演奏会もまた刺激あるものになりそうです。
千原英喜作品、鈴木憲夫、木下牧子、そして巷でどうやら興味の対象になっているらしい(笑)鈴木輝昭作品を予定しています。
シュッツ、ベートーヴェンも続きます。(再来年にはブラームスも)

バッハ「ヨハネ受難曲」(オペラ版)が東京で、柴田南雄「人間と死」、千原英喜「シンフォニア」、木下牧子「原体剣舞連」の名古屋初演を含む演奏会が前半に集中します。そして秋には宮沢賢治特集です。

またまた忙しい年になるようです。(笑)
「憂鬱」の方はどうなっていくのか。・・・・・・(まじめです!)



No.623 '06/12/25「少し憂鬱な気分でしょうか」終わり