No.637 '07/07/27

「さがり花」


沖縄、石垣島に行くようになったのは「ダイビング」。(もう10年を越えましたか)
しかし「ダイビング」だけではなく、ちょっと私にはもう一つ大事な意味合いがありました。

両親が沖縄出身者。那覇に生まれ育ったと聞いています。(私は大阪生まれ、大阪育ちです)
今から思えばもっと沖縄のことを聞いておけば良かったと思うのですが、ただ、両親もあまり沖縄のことを喋らなかったようで、子供であった私から積極的には聞けなかった事情も重なっています。

早くに亡くなってしまった両親に、結局詳しいことも聞けず今日に至ってしまいました。
そんな事情も手伝ってか、若いときは「沖縄」に出かけることを何となく避けていた時があったのですね。
「西洋文化」を生業にしようとしていた修学の時でもあったためでしょう、「クラシック」のルーツを知りたいと思っていた私には自分のルーツを探るということにはまだ思い至っていなかったわけです。

それが一変したのは「ドイツ演奏旅行」の時でしたね。
事情は今までにも多く語り、また書いていますからここでは省きますが、「自国の文化を知らずして、また発信せずして音楽家と言えるか?」を突きつけられたことに因ります。
それからが私にとって第二の演奏家としての時代が始まった、という経緯ですね。

ちょっと長くなりそうなので、このへんで自分史や文化論はさておいて(笑)、いきなりダイビングの話しに戻ります(笑)。

きっかけは「ダイビング」でしたが、沖縄を訪れるようになったのは私にとってそれはとても大きな出来事でした。
歴史を知り、人と出会い、空気に触れ、文化に接することはもう私には必要不可欠な時間となりました。
私の人生においての足場はしっかりとそのことで強固になったと思っています。

石垣は川平。私にとって川平は「行く・出かける」ではなく、今では「帰る」と言う思いになった大事な場所です。
もう、「川平に帰る!」なんですね。
そこで慶田城さんと出会いました。

慶田城用紀さんのお店で

慶田城さんのお店で久しぶりのご対面です。もう懐かしくて、会いたくて。
照れ性なもので(笑)、言葉ではなかなか言えないのですが本当に会いたかった人なんですね。その一瞬がこの写真です。
話しは一年前に遡ります。
いつものようにお店に立ち寄った私に、慶田城さんが一枚のCDを聴かせくれました。
少しはにかみながら「ちょっとこれ、違和感ないよね」って仰る。
確かにそこに流れている歌には「歌心」があり、優しさや切実さもある立派な彼の歌声でした。
若いときにはミュージシャンになりたかったとか。
聴いているうちに「これ、アレンジしたい」と何故か強く思ったのですね。

持ち帰ったものの、それからの私のスケジュールは忙殺の勢い。
結局、幾つかの過程を経て今月の「マンスリー・コンサート」でお披露目ということになりました。

いましばらくお待ち下さい

慶田城さんとツーショットです。
彼が作った曲の題名は「さがり花」。
彼の平和の思いをつづった歌です。
彼の目がいいでしょ。(真っ直ぐですね)


下が、今月の「マンスリー・コンサート」の写真です。
アレンジは楽しかったですね。
慶田城さんの「優しさ」が筆を進めたかもしれません。
本人は気に入ってくれるかどうか判りませんが(録音は後にお送りする予定にしています)、ちょっと私にとってお気に入りの曲になりました。

いましばらくお待ち下さい

お客さんも気に入っていただいたようです。
会場一杯のお客さん、その拍手はとても熱かったです。

いましばらくお待ち下さい

これが「さがり花」。慶田城さんからいただいた写真です。
「さわふじ」とも言うようです。やんばるに咲く花。6月から8月にかけて夕方に香りを放って開花し、明け方には散る。
私は西表島で初めて知ったのですが、強烈な印象を残した花でした。

演奏し終わって、ちょっぴり石垣にまた帰りたくなりました。
慶田城さんに会いたくなりましたね。
曲や演奏について、そして沖縄や石垣島の話しを沢山したくなりました。
一段と思いが募った一夜でした。

No.637 '07/07/27「さがり花」終わり