No.673 '10/05/01

マントヴァ「サンタ・バルバラ教会」演奏会(写真追加:2010/07/03)


私は【共感】を求めて演奏会に臨むのだと思います。
仲間同士の共感も良いのですが、できれば仲間以外の人とも共感で繋がりたい。
日常的なコンサート!
原点を見つめた「素」(自然)の状態。そんな基調が流れる演奏会が好きです。
イタリア・ドイツでそれを確かめられたと思っています。


モンテヴェルディが終生関係を持ち続けたマントヴァ。
1590年、モンテヴェルディが23歳の時にヴィオール奏者として雇われて以来マントヴァは彼の重要な作品を生み出した街です。
日本でのマントヴァは余り有名でない観光地かもしれませんが、イタリアやヨーロッパでは週末に訪れる人の多い観光地になっているようです。
モンテヴェルディ時代のマントヴァは芸術と文化の中心地でした。現代でもその文化的価値は高く評価され、世界遺産にも登録されています。
今回初めて知ったのですが、織田信長が築城したことで知られる安土町と姉妹都市を提携しているようですね。

とにかく私にとっては(いや、モンテヴェルディファンにとっては)一度は訪れてみたい聖地。
有名な「アリアンナの嘆き」や「聖母マリアの晩課《ヴェスプロ》」が作曲され、また《五声マドリガーレ集第三巻》から《五声マドリガーレ集第五巻》までが出版されています。
なかでも、私にとって大事なことはゴンザーガ家の居城、ドゥカーレ宮殿内にある「サンタ・バルバラ教会」〔Basilica Palatina di Santa Barbara〕で演奏すること。
あの《ヴェスプロ》が初演されたかもしれない場所なのです。(今回、演奏してみて確信しました。《ヴェスプロ》の何曲か、あるいはその原曲となった曲はここで初演されたと思います)
それが実現したのですから、想像してみて下さい。どんなに私にとって最上の感激の演奏会であったかを。

マントヴァでのこの記念すべき演奏会は想像以上の大成功に終わりました。

その演奏会の状況は客席で聴いていた倉橋史子、そして山本真美の報告を見て頂ければ嬉しいです。

報告はこちらをクリックして下さい

現地の演奏会をアレンジをして頂いた協会の方々には本当に熱い歓迎を受けました。(演奏会前日の夜会の熱き接待は凄かった!)
そのフレンドリーな応対に驚くやら、感謝するやら。もうメチャメチャの(笑)、親睦振りです。
一気に気持ちは高まりました。
準備からリハーサルまで、そのフォローは生半可ではありません。
何かが「無い」と判ると(こちらの希望を言うわけですが)とことん探して来られます。また無ければ作ったりもします。
(私が指揮する台を三人で作ってしまわれました。その仕事ぶりは語りぐさになるでしょう。見事な共同作業でした)

Rocco君との出逢いも書いておかなくてはなりませんね。
日本が好き、そして日本語を学びたいと近づいてきた青年です。
それを逃す我々ではありませんね。(笑)彼の人柄を見て皆親しくなったようです。
イタリアではその後ずっと、一緒に過ごしました。(笑)
きっとこれからもお付き合いがあることでしょう。

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下の写真は1565年制作されたオルガン用のふいごです。人間、あるいはモーターで動かします。
モーターには一定の圧力にコントロールするスイッチと、人が動かしているよう制御する二通りのスイッチがありました。

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ショートキーを持った鍵盤です。貴重なものです。

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二階にあるオルガン席。とても狭く、5〜6人が立てるほどです。

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教会入り口から祭壇を望んでいます。

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*演奏しているところの写真を私は撮ることが出来ませんでした。同行者の中に取られた方がいらっしゃるかもしれません。
見つかれば後ほど掲載したいと思います。

以下が追加写真です。(追加:2010/07/03)
本番での全体写真がありませんでした。リハーサルの時のものです。

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後方二階での演奏です。プログラム最初の演奏としてこの場所を選びました。

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「追分節考」演奏。女声の響きは美しかったです。

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ちょっと誇らしげな表情ですね。自分の中では歴史的一ページだと思っていました。

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No.673 '10/05/01「マントヴァ「サンタ・バルバラ教会」演奏会」終わり