No.677 '10/07/18

こどもとおとなのためのコンサートVol.3


2010年7月18日(日)
鶴見区民センター大ホールでの「こどもとおとなのためのコンサートVol.3」を催しました。
今年で3回目、3年の月日が経ちました。
子どもたちに本格的な合唱音楽を、そして大人たちの一生懸命取り組む姿を通して本物の息づきを感じてもらえれば、と始めたコンサートです。

いつも子どもたちの明るい表情と、刻々と替わる会場の雰囲気の緊張が好きで続けてきました。
今回は、加えて音楽劇をしたいと、「ふしぎの国のアリス」を取り上げて団員達の大いなるパフォーマンスを繰り広げる計画を立てました。
これまでにも数々の演技を通してステップや踊りを経験してきたメンバー、今回もさぞ楽しい舞台となることだろうとの期待を充分に持って臨んだものでした。
それは毎回の練習ごとに私の案の膨らみで実現へと向かっていきます。
衣装が欲しい、かぶり物も欲しい、踊りが欲しい、と注文を私が付けていきます。
それがどんどん実行されて、見る見るうちに「アリス」の世界が立ち上がっていく様子は快感ですらありました。

当日のリハ、「ふしぎの国のアリス」の一場面です。

いましばらくお待ち下さい

プログラムは三ステージ構成。
第一部は、一級の合唱音楽を聴いて頂こうとの意図。ステージ上で演奏。
大人、そして子どもたちが共通して知っている、歌える曲として「Believe」「翼をください」を歌います。参加者の大半がやはり知っていた曲で楽しい雰囲気でコンサートが始まりました。 三曲目がご存じないかもしれないが本格的な合唱曲をと、木下牧子さんの「はじまり」を歌います。事前に「この曲を知っている人はどれだけいますか?」との私の問いかけに数人が手を挙げただけ。しかし、演奏をし終わって確かな手応えはありました。

第二部は「言葉を味わおう」とのタイトルで、詩人やその詩を通して日本語のことばを伝えます。
一曲目はSMAPが歌っていた「Triangle」。これは先の事前の調べでもっとも知られていない曲でした。実際、あまり反応はありません。
続いて三曲は私の創った作品で金子みすゞの詩による「あさがほ」「空と海」「像の鼻」。演奏に先立ってみすゞの詩を説明、私がどうしてそれらの詩を選んだか、その思いを少し喋りました。(アンケートにはそれらの曲が良かったとの意見、これは正直嬉しかったですね。しかしそのアンケートのことで気持ちが暗くなることも・・・、そのことはまた後ほど)

第三部は「リズムを感じよう」とお客さんと手拍子の協演です。
表拍、裏拍、そして即興でのリズム打ち。リズムの西洋と東洋(日本)との違いを説明、曲は「アリス」からの曲を選んで次へと繋がる構成を意図しました。
これは積極的に皆さん参加してもらえました。三年目の効用でしょうか?それとも今では積極的な方々が多くなったのか。とにかく場内はノリノリとなりました。

そして休憩を挟んで音楽劇「ふしぎの国のアリス」です。ステージの下を舞台としました。
私はメンバーに指揮をまかせて、会場の一番後ろで鑑賞です。(こんなことは滅多にありません(笑))
少し心配していたこともあったのですが、後ろから見る限り子どもさんにも親御さんにもしっかり意図したことが伝わって、さまざまな反応を見せてくれているのが判ります。
体を揺すったり、リズムをとったり、目を見開いて魅入ったり。それは今までに味わうことのできなかった体験です。(後ろから見るということ自体なかったことですから)
心配していたことも思ったほどではなく「これならば良し」との思い。
団員達による演技や歌、そして合唱も熱演で、このページの最初にも書きました「子どもたちに本格的な合唱音楽を、そして大人たちの一生懸命取り組む姿を通して本物の息づきを感じてもらえれば」との思いは通じていた、そう安堵したことでした。

そして最後のステージが「アンコール」という構成です。

しかしです・・・・・。楽屋へ戻った私は団員達の達成感、子どもたちやお客さんの反応による高揚とは別にちょっと暗くなっています。
これが私ですね(といつも思います)。何やら感じるのです。負の感覚が。
いつになく早くお客様のアンケートが私に届きます。
沢山あったアンケートの一番上にあった二枚。
これを見て、「やはり」と思いました。(大半はとても楽しんでいただけ、次回も来たいとのご意見だったのですが)
そのお二人の方の意見を総合すると以下のようになります。
「後ろに座って見ていたが、ステージを降りて下で繰り広げた意味が解らない、台詞の声が小さく聞こえず、歌も聞こえにくかった。色々小道具も趣向をこらしていたようだが後ろからでは見えない!」「料金に対してその内容はそれに値しない」。また来たいと思われますかとの問いのアンケートに「もうあまり来たくない」との回答。(以上は書かれた文そのものではありません。私がまとめました)とご立腹のよう。
「残念!」と思いながら確かに私もその点(客席後方からの視覚。ずいぶんと椅子の並べ方を考えました)は気になっていたわけですし、そのように感じられことは理解でき、今後の反省材料として考えようと思いました。
それにしても、私が後ろから見ていた子どもたちの様子では、その逆で反応は良かったですね。私の心配はその時無くなっていましたから。
後ろから見ていて思ったのですが、子どもたちは本当に自由に反応しています。声をあげる、走る(ニ三人だったろうと思います)、
年齢の低いお子さんが泣いている。そんなときの親御さん、解らなくもないのですがとにかく子どもさんを押さえにかかっていらっしゃるようなのですね。
とても気をお遣いのご様子です。
現に、泣かれたり、ぐずついたりするお子さんを直ぐに外に連れて行くという光景を見る事に、その見識ある行動に感謝もする私。
でも多くのお子さんは興味深く、色々な様子を見せながら実に大いに楽しんで頂いていたのですね。
これからは年齢制限をつけるのか。いや、年齢などで規制しないで兄弟の多いお子さんたちも来られるように、ホール内に鑑賞にはまだ至らないお子さんを預かる託児室を設けるとか、いろいろコンサートの位置付けが必要になってきたかもしれません。
「料金に対してその内容はそれに値しない」とのご意見。ウ〜ン、これは頭が痛いです。料金を下げることは望むところなのですが、その内容が見合ってないとのことでしたら・・・・・・。(ご意見はしっかり受けとめておきます)

手前味噌となりますが、今回のプログラム、そしてアンケートに少し喜んでいます。
それは団員の意見で、子どもさんたちにも読みやすく、また書くこともできるようにと、漢字にフリガナ、そしてアンケートはカナ文としました。
これは私も気づかなかったこと。そのことを知ったときはちょっと感動してしまいました。当たり前と言えば当たり前。気づかなかった私が考慮不足でした。

このコンサートの原点を考えます。
「親と子のためのコンサート」ではなく、子どもを先に出して「こどもとおとなのための」としました。
あくまでも子どもたちの視点で捉えたいとの思いです。
子どもたちには体験を、刺激を、そして生の感情を。それが第一番と考えています。
(「鑑賞」だけとならないよう、できるだけ身近にとの思いで音楽劇ではステージ下を舞台としました。このホール唯一の問題はステージが客席から高いということ。前の席で見ると頭を後ろにずっと傾け続けなくてはなりません。席を後ろにセッティングすると今度はステージがとても遠く感じる。理想を言えば「円型に演奏者を囲むのが良いと思っています。合唱音楽には「遠い」という問題が残るのですが、響きの良さを知って頂きたく通常のステージを使いました)
親御さんが子どもの感性を通して子どもさんたちの新たな発見、あるいは体験をサポートしていただけるような位置関係が取れるのが良いと思っているのですが。
もちろん大人も楽しめるものでなければなりません。おとなの楽しむ様子を見るからこそ、子どもたちもまた楽しむことの意味を知って成長していきます。
そして大きな問題がここに立ち現れます。それはどのような楽しみか、という問題です。
どのような音楽を提供するかですね。子どもたちの目線ということが「現代の子どもたちの世界」だけで良いのか、ということ。
おとなの一級の「息吹」(と私は言っているのですが)を感じてもらわなくてはならないとの強い思いはこれに由来します。
迎合の部類でなく、見せかけの豪華さでなく、感覚麻痺の効果でなく、おとなの世界との共通領域の確認です。
何度も書くようですが、一番私が大切な事だと思っていること。このコンサートを企画、そして続けていることの理由です。
それは「大人が一生懸命汗をかくこと」「智慧を出し合って協調、共同作業の結果とすること」「真摯に思いを伝えること」「それらの結果とするハーモニーを聴いて頂くこと」
私たちにも、そしてお越し頂いた大人、そして子どもさんたちにとっても、温かく、明るく、楽しい演奏会。そして新しい発見の場所。少しの驚き。
よりよくなるよう、これからも最善を尽くしたいと思います。
お出で下さった沢山の子どもたちに感謝です。「ありがとう」
そしてお忙しいところ子どもさんたちをお連れ下さった沢山の親御さんの方々に心からの感謝を。
「本当にありがとうございました」



No.677 '10/07/18「こどもとおとなのためのコンサートVol.3」終わり