No.694 2015/02/10

久しぶりに書きたいと思い、近況報告です


 この「日記」を書かなくなって久しいですね。
TwitterやFacebookを始めたこと、そして様々な原稿書きが増え、毎月四回分のコラム(石垣島の新聞二社)まで書き始めたことがその理由です。
当然ながら、日々は各練習そして演奏会と続いていますし、講座などでもその度に皆と飲みに行くわけですから、少し考えただけでも時間があろうはずがありません。
 しかしそうであっても、書きたいこと、日々の出来事での報告、書き残したいことが沢山あって何とか時間を作って書こうとしてきたのですが、結果として随分と間だが開いてしまうことになりました。

 思えば年々私の仕事への取り組み方も変化してきているように思います。
これまで勢いよく前進して突き進んできたことが、勢いや速さといったことより内容の充実へと思いっきり舵取りを始めたように思います。
作品の下調べや、スコアリーディングに時間をかけたいと思う気持ちと確保が以前より多く、強くなりました。
その変化は、楽曲が持つ精神的背景と私の精神的背景の同調・共振というものを一層確固たるものとして強く求める私がいるからだと思っています。
私はその取り組み方に一つ一つ細かくなり、かつ包括的な方向へと向かわせ始めていると自覚です。これまでの音楽体験が大きく一つにまとまりつつあるのかもしれません。

 そのなかで、少し厄介なこともまた大きくなりはじめました。私の中の「人間」の問題です。
 人が持つ優しさの中の残酷さ。
 人が持つ強さの中のいい加減さ。
 人が持つ夢の脆(もろ)さ。
 人が持つ信頼という薄氷(はくひょう)。
 人が持つ心の自覚できぬねじれ。

言葉の力が弱まってきていると感じる私。
言葉が信頼を弱めていると感じる私。
言霊(ことだま)を信じつつ、音霊(おとだま)を作り出したいと思う私。
しかし、それを作るには言葉が持つ力の復活を成し遂げねばなりません。
言葉を超えた「魂の響き」を共有しなければなりません。
それは「人間」心の問題です。
人間が持つ奥深き闇の部分との対峙です。
楽曲のイメージが強くなればなるほど、それを表現する「人間」の本質との対峙。
それに今少し疲れが出ているのかもしれません。

忙しさの中で何かが変化し始めています。
音楽する気持ちが強くなればなるほど、心の奥底で「人間」を考える私。
納得の人生をと思えば思うほど「人としての重苦しさ」を感じる私。
 しかし、私は「音楽」を信じ「人」を信じています。
これまでもそうでした。
そして、これからもそれは私の生き方です。
 今年に入ってから少し、疲れたのでしょう。
この疲れは、きっとこれから「音楽」と「人」によって快復です。
忙しい中、また書き続けたいですね。
音で言葉を超えた思いを放ちたいですね。
「人間」がもっと強く結び合うために。

No.694 2015/02/10「久しぶりに書きたいと思い、近況報告です」終わり