八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.31


【掲載:2014/06/29(日曜日)】

やいま千思万想(第31回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

[人間って素敵で厄介な生き物(パート2)]

 「好き・嫌い」の続きです。
「好き」ということは本能による絶対的な価値観、判断に拠っているのではなく、単に「どれだけ慣れているか」「どれだけ時間を多く費やしているか」によって決まるもの、ということを述べました。
ですからこの習性(脳の働き)を利用して「好き」になってもらおうとする方策が生まれます。
つまり「好き」をコントロールするわけです。
ラジオ(人気のパーソナリティにアナウンサー)やテレビ(好感度の高いタレントなどを用いて)、そしてお友達同士のお茶のみ話でも、何度も顔を合わせ同じ情報を流せば「好き」になり、それが「正しいことだ」という思いさえも与えられてしまうわけです。
反復によって操作されうる、ということですね。
その情報が皆にとって有益なことに繋がるものならばいいのですが、思惑があって恣意的(私利私欲)に用いられたりすると困ったことになります。
「好き」とは、脳にとって心地良いものとしての結果。
また、それを「正しい」とも判断してしまう。

 しかし果たして「好き」が「正しい」と言っていいものか?
好きにさせられてしまっているかもしれないのですね。
いわゆる「常識」というのもその類ですね。
常識もきっと環境によっては違っている筈。
繰り返されて定着したものだとすれば、常識なのだから正しい、とはそう簡単に言えなくなるかもしれないのです。
脳とは油断のできない、厄介なものなんですね。

 「好き・嫌い」による個人的な価値観が基準となって物事の良し悪し(正誤)を決める、これを出来る限り避けたいと思う私です。
「差別」を生む怖さがあるのですね。
個人的な好き・嫌いの頑(かたく)なな主張が生じる弊害です。
それを回避するために価値判断は柔軟に、そして柔軟になるためには謙虚に、そう思う私です。

 人間は脳の働きで考え、行動します。
そしてその脳は身体の動きと密接な繋がりを持っていて、その動きによって鍛えられ、進化するという性質を持つようです。
脳が単独で進化しているわけではないのですね。
脳が身体の運動と連携を見失うことがないよう、私は私自身に言い聞かせています。
では脳に勝手な、危うい判断をさせないためにはどうすればいいのでしょう。
それは脳に対して、より新しい刺激を与えてあげればいいのですね。
身体の動きを伴って、より新しい刺激でもって脳を鍛えてあげればいいのですね。
このコラムでも書いてきたように、新しい体験を目指し、冒険を試みる。好き・嫌いの原因を考えてみる。
 時に心地良いものばかりでなく、心地良くないものにも積極的に向き合って対峙し、真剣に取り組む。
そうすることで脳の判断力に修正が施され、より賢く、知恵を生みだしていくのですね。
本を一冊ご紹介しますね。
脳の働きを平易に解りやすく解説した本です。
高校生と向き合う形で書かれた[単純な脳、複雑な「私」 ]著者は池谷裕二さんで朝日出版社発行。推薦できる良書だと思います。





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