八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.37


【掲載:2014/09/18(木曜日)】

やいま千思万想(第37回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

[テレビも新聞も情報の目線・視点が大切]

 我が国でテレビジョン放送が始まったのは1953年(昭和28年)2月1日、NHKが開始したと記録されています。
今ではテレビは24時間放送を続けているという不夜城社会の象徴となっていますが、本放送を開始した当初の放送時間は一日合計4時間だったそうです。
 値段も高かった!当時の月給が平均1万5千円だったのに対してテレビは20万円したそうですから、とても庶民には高嶺の花。
街角の各所に備え付けられた公開テレビを大勢が囲んで観るという状態でした。

 テレビは現在、それ無しでは考えられないほどの社会的ニーズ(必要性・需要)となっています。
私は以前に比べて必要としなくなっていますが、それでも一日に一度はテレビを点(つ)けてしまいますね。
私が観る主なものはドラマです。
それも古くに放映されたもので、毎日のワイドショー、ニュース性の強いものはいつしか見なくなってしまいました。
 ワイドショーで交わされる言葉と内容に面白さを感じなくなりましたし、ニュースは報道のあり方、内容に共感する度合いも少なくなりました。
映し出され切り取られた写真や映像、その真実性の危うさも知ってしまったことも離れる原因です。

 映像って意図が反映しますし、その選択も操作できてしまう怖さがあるのですね。(テレビを観なくなったのはそんな私の懐疑的要素が強く絡んだ時期と重なります)
ではテレビの映像や喋りでなく、毎日読む新聞はどうかといえば、これも勢いも手伝ってか離れてしまいました。
それまで購読していた全国紙二社の新聞の解約です。
それにはインターネットで読めるという思いもありました。
以前は熱く記事を耽読(たんどく)していたものです。
新聞は社会との繋がりを見つめるための日課の始まりでしたが、全国紙は余りにも扱うニュースが膨大に広がり過ぎました。
地域版ですら地域にしっかり根ざして生活を繋ぐ記事を書くことが難しくなったように思います。

 ペーパーレスとなった以後はインターネットによるニュース読み(しかしこの世界も理想とするにはまだ早すぎるような気がします)。
この時期にコラムを通じて八重山の新聞と繋がりました。
 八重山毎日新聞社題字横に掲げられた「視野は世界 視点は郷土」に深く共感です。このコラム執筆をきっかけに購読を始めています)

 全て目線が大切だと思っています。
送り手も受け取り手もどこに視点を持って対しているかですね。
テレビや新聞を、一度観る気も読む気もなくしてしまった私ですが、それぞれの限界を知りながらもより良いものにするためには、避けるのではなく、諦めるのでもなく、共に歴史を共有する者として作っていかなければならないのですね。
 私も止めた購読を再開することにしましょう。
テレビも観て、新聞や本ももっと読みましょうか。
そしてそれを人との話題としましょう。
自分自身の視点をしっかり持って、批判の目を養いながら多く情報を共有するのが最も大切だと考えます。





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