八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.39


【掲載:2014/10/16(木曜日)】

やいま千思万想(第39回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

[「人」が音楽をつくる「音楽」が人をつくる(2)]

 オルガンとハープシコードを弾きながら、フルートやヴァイオリン、オーボエの仲間と室内楽を演奏していた私には合唱には手を付けない、という変なこだわりがありました。
音楽以外の面倒なことが多い、というのがその理由です。
しかし、あるイベントをきっかけにどうしても作らなくてはならなくなり、重い腰をあげながら合唱団づくりが始まりました。
どうせ作るのなら日本一、いや世界にも通用する合唱団づくりをと、想い描いていた私の理想へと突き進みます。
 メンバーには音楽仲間の声楽家ではなく、新しい響き作りのためにアマチュアのメンバーを集めたいと思いました。
しかし全くの合唱の初心者では思い通りにはいきません、合唱経験者や専門の勉強をした人の中でも私の響きを作ることのできるメンバーを求めたわけです。

 そこで前回紹介したCちゃん(音大声楽科出身)と出会い、一気に私の合唱団作りが本格化しました。
その時、運命というべきか、少し遅れてもう一人の団の柱となるT美さん(大阪教育大)が私の演奏会を聴いて入団してきます。
無類の合唱好き、そして恵まれたアルトの声。Cちゃんとのデュエットはいつも未来の合唱団を確信するほどの演奏です。
この二人に刺激されて合唱団のレベル、そして団全体の雰囲気が明るく勢いあるものになっていったのですね。

 T美さんは母子家庭で育った人。四歳の時に新聞記者だったお父さんを癌で亡くした事が彼女の性格を形成していることは間違いありません。
奨学金を得て通っていた大教大(大阪教育大学)の国語専攻も父親への愛慕からで、私の邦人曲演奏ではそこでの学びが重要な資料作成となって現在でも使用されます。
 また彼女は周りを驚かせるほどの行動家です。
団として初めてドイツでの演奏会を計画した時など、長期の休みを取り一年前に下見単独旅行。
その珍道中振りは語りぐさになっています。
彼女の愛くるしいその姿と笑顔は誰もに印象深く残ります。

 エピソードがあります。同じパートの団員が何度も同じ所を間違うと「信じられへんわ」「そんなんで間に合うんか?」「必死になってやっといで!」。でも言われたその団員、”何故かその笑顔が上品なんだなぁ”。

 2004年6月1日、彼女は亡くなります。
癌でした。41歳でした。
 皆に愛され、最後まで「歌をうたいたい!皆と合唱したい」と言っていた彼女。病院を抜け出し、コンサートのリハに聴きに来ていた姿は今も私の脳裏に刻み込まれています。
音楽を愛し、仲間を愛し、ただひたすらに人生を駆け抜けるように去ったT美さんは私の音楽する心の堅固な支えです。
 彼女と共に合唱団を作り、活動し続けるメンバーにとっても、次代へと繋ぐ心の支えとなっています。
 合唱団にはそれ自体の歴史があります。
しかし、その歴史は一人一人の代え難い「人」によって作られるもの。
 その重みが「音楽」となり、心から心へと深く繋ごうとする共振の音楽が生まれるのです。
即席には出来ない、それが合唱なのです。





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