八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.47


【掲載:2015/02/06(金曜日)】

やいま千思万想(第47回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

[最初の一振りアウフタクト]

 アウフタクトとは音楽語の一つなのですが、その説明は後にして今回のテーマは「準備」の奥深さについてです。
何をするにも人間は何がしかの準備が必要です。
その準備の立て方、仕方でその後の成果に大きな違いが出てきます。
「どうも上手くいかなかった」との原因はほぼ間違いなくその準備の中にあります。
話す、走る、手足を動かす、思う、考える、身体の動きや精神的な活動をするときもそうであって、全ての活動がその対象です。
 音楽の修行時代、この「準備すること」にとても煩わせられました。しかしその事がとても良い経験であったことは言うまでもありません。練習とはその準備を学ぶことだったと今断言できます。

 指揮のレッスンを受けていた若い頃のことは忘れることができません。
結構自信を持って受けたのですが、何度もやり直しをさせられます。
「何が悪いのか考えなさい」と具体的なことは仰ってくださらない先生。
その内に業をにやされたのか「こうすれば、いいのです」と振られた棒に目から鱗です。
 私のタイミングは自己中心、演奏者の息に(身体の準備に)合わせられず力んでの(緊張過度) 棒だったのです。演奏者にとっては音を出す大切な準備の動作であり、私にとっても音を引き出す大事な動作であるにもかかわらず自分本位な不自然な準備動作であったのです。
 演奏する直前の一振り、この動作をアウフタクト(ドイツ語でAuftakt、弱起と訳されています)と呼んでいます。正確に言えばリズムの弱拍をいうのですが、ここでは音の出の前拍としておきます。
奏者たちや歌手たちの音楽の始まりはこの一振りからで、タクトが振り下ろされるのを待っている緊張の一瞬です。
大勢の演奏者の前、当の指揮者にとっては身体的なコントロールが難しくて緊張のあまり顔が引きつり、腕がけいれんし、指が震えたりしながら冒頭のフレーズをイメージし、頭の中で歌い、テンポを決め、いくつかのフレーズと関連づけ、拍を数え、リズムを取り、それは覚悟を決めて清水の舞台から飛び降りる気持ちで振り始めるようなものです。

立ち姿が、曲の雰囲気を醸し出せていなければなりません。
目が、曲の内容の輝きでなければなりません。
その一振りが冒頭の感情を表すのにふさわしいものでなければなりません。
指揮者として、資質が全部暴露されてしまう恐ろしい一瞬です。

 事を起こす寸前の状態を把握する。その事に多くの時間を割いてきたように思います。
要は、寸前のこの一瞬に全ての目指すべきものを表しているか?なのです。
準備をするということはその準備の前に準備があり、またその前にも準備が必要だということになるのですが、結局、通常そのものが問われるのです。
 非日常的と日常的とに分けるのではなく、常にそのものであれということです。
大事なこと、それはあらゆる事の適正な「準備の時」を知り、実行し、自身が目指す目的を的確に果たすということなのだと思うのです。





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