八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.49


【掲載:2015/03/04(水曜日)】

やいま千思万想(第49回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

[心の拠り所を人はどこに求めるのか?(パート1)]

 現代は神を失った時代ではないか?そう思うことしきりです。
しかし、人は悩んだり、困ったり、不幸が続いた時など普段に意識することもなかった神に、より近づきたいと願うようです。
 神の存在を信じないと公言してやまない人であっても、そういった事態が起こった折にはそれぞれの神に祈る。
 神の存在が何であれ、そのようなものに真摯に、真剣に人は祈る。

 人としての拠り所はどこにあるのか?と私が私自身に問い続けています。しかし神がどのようなものであれ私には確信があるのですね。ものごとを考える基本があります。
 私たちの存在は私たち自身で造ったわけではなく、自然というものによって造られた存在であるということ。
 その自然世界の恩恵にいつも感謝し、謙虚であれ、ということ。
 自分で自分を好きなように左右できるわけではなく、人はその自然世界の支配者になって良いわけではないということ。
 自身も含めて他の全ての命も尊く、全ての生き物に対して慈しみの共生とならなければならない、ということ。
 絶えず生きるという命の問題と対峙せざるを得ない弱い立場の人たちの目線に立て、ということ。
それがたとえ私と敵対する人であったとしても。
それが私の基本です。

 古代の人々は自然の働き、その恵みの大きさ、凄さ、巧みさ、精緻さを感じていましたし、その中にあって時折我々を襲う脅威をもよく知っていました。
そして知れば知るほどその凄まじさ、不可思議さに畏敬の念を抱きつつ、畏怖を感じながらその意味を問うことを止めなかったのですね。
 先人達はその営みの中で、「人知でははかりしれないものがここにある」「私たちはまだまだどれだけ多くを知ってはいないか」という、いわゆる優れた「理性」と「知性」を培(つちか)ってきたのだと思うのです。

 人間は経験の中でしか考えることができません。未知なるものが沢山あるのに、ちっぽけな個人の経験の中でしか考えることができません。そういった経験を超えた人間全ての幸福となる価値観を作り出さなければ。
人と人とが繋がり、結び合い、皆が幸福となる価値観とは何か?
人間が立っているところ、それは地球という大自然の中。
地球の歴史から考えれば人間の歴史はまだ始まったばかり。人間としての苦悩はまだ始まったばかりです。

 現代の「心の拠り所」とはどこにあるのか?いや、どこに求めるのか。謙虚で有りながら生きようと強く願う「理性」と「知性」を培い、そして保ち続けたいと思っています。
行き着くところ、大自然の中で謙虚さと感謝をもって全ての人間が全ての人間のために生きる、皆が、皆の役に立つように生きる、ということでしょう。
 それは、人間として考えなければならないことを見過ごすことなくしっかり直視して考え、生かされている命を感謝をもって生ききるということなのではないか、そう思うのですが。

(この項つづきます)





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