八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.67


【掲載:2015/12/10(木曜日)】

やいま千思万想(第67回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

[さまざまな音世界 音律の話(その13)]

 いよいよ話は「平均律」となります。
ピタゴラス音律→純正律→ミーントーン(中全音律)→ウェル・テンペラメント→平均律、と歩んできた音律。今回は現在最も普及している「平均律」のことを。
 美しい「純正律」に付かず離れず、鍵盤楽器で純正をなんとか維持させようと調整、転調などの複雑な要求をも満たせる音律を摸索してきた、それが西洋音楽の音律の歴史です。基本はやはり純粋に協和する響きなんですね。
 ところが19世紀半ばに導入されたある音律がそれを一変させます。
それが「平均律」です。
「平均律」は音律の歴史の中で生まれるべくして生まれてきたものであることは間違いありません。
それはピアノや他の楽器の量産化が大きな要因の一つです。楽器の量産における経済効率と機能上の効率を優先させたのですね。
現在主流ともなっているデジタル楽器(電子オルガンやシンセサイザーなど)では今や平均律を前提とした設計になっています。
 音階の音程を均一化した音律、「平均律」(より正確に言えば十二平均律)。それまでの「ミーントーン(中全音律)」、「ウェル・テンペラメント」(良く調整された音律)といった音律では、微妙に音程に差を作って純粋音程を保とうとしながらも「調」による性格の違いを利用していたのですが、それが全て均一、単一化の方向に進んだということです。
 言い換えればどの音程の響きも純粋ではなくなり、完全に協和しない、つまり全てに〈うなり〉が生じる不協和に平均律ではなってしまったのです。
 大作曲家の一人、マーラーはこの平均律の導入によって西洋音楽は大きな損失を受けたと嘆いています。彼はミーントーンの愛好者でもありました。音階を構成している音程の微妙な違いは特有の色彩をつくり、固有の性格を与えていて、それを生かして作曲をしていたのですね。
 1910年頃、有名な社会学者が指摘しています。「純正調に基づいての音感訓練 が、ピアノの登場によって精緻な聴覚が得られなくなった」と。

 しかしこの平均律、音律の歴史を見れば論理的に行き着くところへ行ったと言うことでもあります。
そして平均律の普及以後の音楽は新しい境地を得たともいえます。ジャズやロックも平均律がなければ生まれなかったかもしれないのですね。
 ただ、この音律ではとにかく画一的になったことへの不満もまた産みだされたのです。それまでは調によって色彩感が異なっていてそれらを楽しんでいたのですが、平均律では楽器そのものが持つ音色、またその組み合わせによって作り出された音色、色彩感を楽しむようになってしまったのです。
 転調といった作曲技法も単に音域をずらすといっただけにとどまり、それまでのように調そのものが持つダイナミックな表現が生まれなくなったという側面があります。
摸索が続けられています。
今日では平均律を超えての音楽表現が作曲家にも演奏者にも求められているのかもしれません。
(この項つづきます)





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