八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.76


【掲載:2016/04/21(木曜日)】

やいま千思万想(第76回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

「人」が音楽をつくる「音楽」が人をつくる(その11)

 今回は私自身のことを少し書きます。
指揮をし、曲を書き、編曲もしながらステージに立っています。伝えたいこともあって著述し、出版もしました。月に何度かは講師も務めて様々なテーマについて意見を発しています。
そのような表現者としての私ですから、私自身のことも語っておかなければ真のものには成り得ない、そう思っています。
自身のことを語らずして、ものを言うのは危険、怖いと感じるのですね。書くこと、話すこと、そして音楽することは深く自分自身の性格による考え方と深く関わっているからです。

 指揮者って華やかな職業だと思われがちですが、実は1日のほとんどがスコア読みと、資料読み。そして直ぐには形になることはない、輪郭のぼやけた思索に明け暮れる毎日の繰り返しです。
気がつけば、誰とも会わない、話さない日も稀ではありません。
 しかし、後に知りました。しなければならない多くの勉強の中でも最も大切なことは「人」、人間を考察することだと。
人から学ぶ、人に学んでこそ音楽は生き生きとした真の表現となる。
そのことを知ったのですね。
結局は楽譜をどんなに勉強しても、人が何を感じ、何を欲しているか、何を望んでいるか、そして聴衆に対してどのように私は貢献できるのか、それが大切なのですね。ステージを通して、音楽を通して多くの人の出会いと交わりの中でその事を教えられました。
しかしそうは言うものの、私、交際している人は決して多くはないと思います。

 信頼で結ばれての交際でありたい、そう願っているのですがそうあるものではありません。
できるだけ多くの人たちと共に信頼を、とは思いながらも振り返れば幾人かの人たちとの付き合いに限られているようです。
慎重派です。石橋を叩きながらの人生でしょうか。
しかし大胆になるとブルトーザーのように周囲をなぎ倒すように(決して倒したりはしませんが)進むようです。
確固としたものを確信したならば突き進む。表面的なお付き合いだけの交際は苦手です。
特に独りよがりはいけません。それは人との関係の中で信頼によって貢献できるものとはならないからです。
音楽は「私」だけのものではありません。
人のもの、人と人とを結びつける「人間」の触媒(しょくばい)のようなものです。

 人は音楽を作り、音楽は人を作る。私は多くの作曲家によって創作された曲を指揮する、それにともなう発声や演奏のノウハウを教え、演奏家と聴衆を結ぶために音楽の世界に没入して体全体で表現する。
当然ながら私のフィルターを通しているわけですから、フィルターそのものがいかなる条件にも耐えられるような、沿えられるような質のものでありたいと思うわけです。
 貢献できることは素晴らしいことです。孤独の世界、その閉ざされての窮屈な思いが、開かれた世界へと変わる。
人間は一人ではないのだと。共に生きるという思いが大きく人間を前進させていくのだと信じるのですね。
(この項つづきます)





戻る戻る ホームホーム 次へ次へ