八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.98


【掲載:2017/03/16(木曜日)】

やいま千思万想(第98回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

活字の大きさと読書

 他の新聞のコラムで書かれていたテーマ「活字の大きさ」について考えさせられました。
最近の出版物はより大きな文字になる傾向にあるらしい。しかし、文字を大きくすればページ数が増えてしまう。そうなればコスト、値段が上がるという問題が生じる。
文字が小さければ、それだけページ数も少なくてすみ値段も抑えられ、購入しやすくなり読者が増えるのではないか。
だんだんと本離れしていく状況にあって出版界では知恵を絞らなくてはならなくなっているようです。
 昨今は目の酷使を強いられる状況が顕著です。仕事で使うパソコンもそうですし、小さな活字による出版物もまだまだ沢山読まなければなりません。ますます目は疲れていく、そしてそれに加えて、加齢による視力の衰えもあり、小さな文字を読むには辛い人々の状況が多くなっています。
 対策といえば、眼鏡をかけたり、ルーペ(拡大鏡)を用いたり、最近では眼鏡のように耳にかけるものもあって便利にはなってきたりしていますが、なかなか手間のかかるものです。活字(印刷物や書物)を読むことは最近とみにその苦労は並大抵ではないと思う私です。
 私は大学生の頃には眼鏡をかけていました。少しの近視と乱視が入っていたためです。
随分と長く着用していたように思います。
その時は仕方なく眼鏡を着用していましたが、実に面倒くさい、わずらわしいものでした。
それがいつ頃からか眼鏡を外した方がよく見えるようになり、以前のように眼鏡は要らず、裸眼で済ませています。
わずらわしさはなくなって不思議なほどに小さな文字もよく見えるようになりました。
その状況に周りは驚いていたようですが、最近では寄る年波には勝てず、また目の疲れと共に乱視が進んで書物を読み辛くなりはじめています。
まだ眼鏡をかけるところまではいかないのですが、さてどうしたものかと今は思案中というところでしょうか。

 そんなわけで、長時間の読書は辛くなりました。
そして小さな活字を読むのも以前に比べて無理がきかなくなりました。
そういった時、活字はより大きい方が良いと思いますね。少しでも目の負担を軽減させたいし、本を読み進めたいですものね。
でも活字が大きくなればそれで読みやすくなるか、といえばそうでもない気がします。
1ページに収まるレイアウトが変わり全体を把握できていた以前に比べてページのめくりも多くなり、何かと不自然さを感じます。
慣れの問題かもしれないのですが、いまだ違和感をもっている私です。
文庫本、新書判、雑誌、そして新聞などの大判と、大きな紙面になっていくほど活字の問題も文字の大小の自由が増すのではないかと思うのですが、しかし活字の大きさとその読みやすさとの関係はまだまだ試行錯誤のような気がしています。
 小さければ読み辛く、だからといって大文字で良い、というものでもない。
レイアウトという配列、割り付けの問題もあって作る方も読み手も頭の痛い問題です。





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