八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.112


【掲載:2017/11/02(木曜日)】

やいま千思万想(第112回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

「自然」の中での小さき人間の営み

 ここのところ、「東京公演」のための練習が続いています。
通常の演奏会とは違って演出付きの曲もあったりで、その練習場探しに苦慮します。
演劇的要素が加わるものですから、ある程度、でなく、実際のホールのステージの広さが必要です。
演奏者が乗るひな壇やその段数、またその実測を行ってリハーサルをします。そうでないと動きが決まりません。
また、我が演奏者たち(合唱団)は歌うだけではなく、ステージ上やひな壇上でも踊るという演出がありますから、なおさらです。
こういった場合、公共の施設の舞台やその練習場をお借りしての練習となるのですが、しかし、そういった所は借りるための競争率が高くなかなか自由に日程を抑えるのは困難、その上、最近のように「台風」接近ともなれば心配は大きく脹らみます。
「警報」が発令されれば使用は不可となるからです。

 台風第21号、そして22号は日本の多くの地に被害をもたらしました。
その痛々しさは「演奏会」が開催されるか、中止になるかといった事などとは比べようもありませんが、何ヶ月も掛けて練習したことが発表できなくなることは出演者、関係者、そして聴衆にとっては残念なことではあります。
私たちの場合、今度の台風の影響で練習や演奏会そのものが中止となることはなかったのですが、仲間の出演する他の演奏会は中止になったと聴きました。
出演者のメールには「この台風め!」との怒りともため息ともとれる内容が書かれていたそうです。
大自然の力の前には人間は無力、勝てませんね。
生活は自然が穏やかであることを望みます。
しかし、穏やかな日々が続いている時にはその「自然」のありがたさや重要性には気がつきにくいもの。
いざ自然が牙をむいて襲いかかって来たり、徐々にではあっても人間にとって生活の営みに悪影響を及ばすことがあって初めて気付くものですね。
そしてそういった状態になってしまえばもう遅く、「自然」に抗(あらが)うことは困難、いや、できないと言ってもいいかもしれません。
そうならないためにも、前もってその対策を講じなければならないとは解りきったことなのですが、事態を経験してこそ人間は改めてそのことの重大さが身に染みます。

 音楽家としての確信、それは音楽を奏する、聴く、ということは「平安」な時間的空間があるという大前提に立っているのだということ。それを強く、強く思う次第です。
音楽は自然との共存、その中でこそ音楽が発生するからです。音響は「自然」からの恵みです。
そう思う時期にあった時、選挙が重なりました。
私は期日前投票をしたのですが、投票日当日は台風の影響が多く出た地域もありました。
神は(というものが存在するのならば)どうしてこのようなことを成されるのでしょうね。
人間のすることなど、ほとほと〈小さいこと〉のように見えます。
台風が去りました。何ごとも感知しないごとくに。
我々には日常の日々が戻っています。
大きな傷跡を残した地もある中で。





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