八重山毎日新聞社コラム

「やいま千思万想」No.128


【掲載:2018/07/12(木曜日)】

やいま千思万想(第128回)

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一

人間の力を超える自然からの試練

 関西にまた大地震が起こりました。
6 月 18 日大阪府北部地震。朝方7 時 58 分、震源の深さ約 15km でマグニチュード6.1。最大震度6弱を観測した地震です。
私の家は少し物が崩れ落ちただけで済みましたが、大阪市北区(きたく)、高槻市(たかつきし)、枚方市(ひらかたし)、
茨木市(いばらきし)、箕面市(みのおし)の5市区、そして京都府京都市、亀岡市(かめおかし)など18の市区町村でも震度5強の揺れを観測し、
近畿地方を中心に被害が多く出ました。

日本人はとにかく大人しく、おっとりした優しい人種だと言われているようです。
外国から見られるこのような印象に私は嬉しさを覚えます。が、その「優しさ」とは力がない、軟弱である、優柔不断であることとは違うと思うのですね。
「人は優しさだけでは生きられない、人を受け入れるだけでない厳しさ、闘争心、対立しにらみ合い、事によっては応戦することも必要だ」という考え方もあります。
以前に書いたことかもしれませんが、昔推されてあるフォーラムにパネリストとして参加した折、
私は「本当の優しさは、〈怒り〉を持つことで真なるものになるのではないか」との趣旨の意見を述べたことがあります。
参加されていた人たちからは〈怒り〉は何も良いものを生むことはないとの猛反発を頂いた経験があるのですが、これは当然な反応だと思いました。
その時、私が言った〈怒り〉とは理不尽なことに対する気持ちの事だったのですが、言葉足らず、あるいは結論を急いだ表現が良くなかった、と今ではそう思っています。
優しいとは、行動を伴わない口先だけ、勇気がないだけ、優柔不断であることとは違います。
きっぱりと強靭な信念を持つものでないと優しくはなれないと私は思うのですね。
今回、厳しさなどと言っている思いなど吹っ飛ばしてしまうような事態が起こり、
もっと大きくて抗(あらが)うことのできないことが人間にはあるのだと再び思い知らされました。
それは自然が荒ぶることで人の生活を壊してしまう災害。
もう、人間同士ならともかく、自然が相手では個人的な思いなど通るわけもなく、成せる術ない無力な生物と化します。
自然は更なる過酷な試練を課しました。記録的豪雨が日本列島を襲います。
7月5日(木)は早朝から大雨、豪雨警報や避難指示、勧告などで携帯やスマホが幾度も鳴り続けました。
雨は降り続け、7日に至っては九州や中国・四国、近畿では記録的豪雨となり、各地で川が増水し、氾濫。
それに伴って低い土地では浸水、地盤も緩み、土砂災害に依って多くの避難者、負傷者、行方不明者、死者が出ました。
救助してくださっている人々は、ただ優しい気持ち、そんな生易しさだけで人を救い出すことはできないでしょう。
許してはならない、見過ごしてはならない物事に対する〈怒り〉に根ざした信念と責任感、
そしてそれによって生まれる「優しさ」ゆえに人が人を救う、その事をまた思ってしまいました。





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