八重山日報コラム
最近、私は早朝散歩を楽しんでいるのですが、通りすがりにジョギングをしている人とよくすれ違います。
【掲載:2013/05/08】
音楽旅歩き 第3回
「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者 当間修一
[「音が無い」、「静けさ」という価値]
その人たちのほとんどがイヤフォンで何かを聞いています。
ラジオかもしれないのですが、走りながらニュースや語学テープでもないでしょうからおそらく音楽でしょう。
「一人の世界」に入っていらっしゃるのですね。
これが都会の朝の風景です。
散歩者は「おはようございます!」と声を掛け合うこともあるのですが、ジョギングの方とはままならずです。
いらぬお節介かもしれないのですが、イヤフォンをはずして外の音を聴けば自然そのものの中で走ることができるのに、と思ってしまいます。
風の音を聴き、鳥の声を聴き、そして行き交う人の息も聞こえてくる、これこそが一日の清々しい始まり、感動だと思うのです。
人は音が無いと落ち着かないようです。
不安になってくるのでしょうか?都会の「音」は作られたもの、押し付けられた環境となりやすいのですね。
つまり依存することに慣れてしまうわけです。自らが生み出したり、考えることをしなくなってしまうのではないか。
自ら過ごしてきた環境でそう知りました。
「音が無い」、つまり「静けさ」という価値に気付くには、自分自身との対話、イメージ創造が行われてこそかもしれません。
私が訪れたヨーロッパ各地の印象は「静けさ」でした。
カフェに入ってもレストランに入ってもBGMはありません。
食事中、友人との会話も弾みます。
思考を邪魔されずに話すことができるのですね。
大きな声で乱暴に喋る人もいません。
ただ、よく響く声ではありますが。押し付けでない音を聴きたい。
それは「静けさ」を十分に楽しむことによって得られるのではないか、そう思うのです。
石垣の「静けさ」は、本当に貴重です!
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