八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.9


【掲載:2013/07/21】

音楽旅歩き 第9回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

[焦燥感と無力感、音楽の充実感と同時に感じた時代]

 悩み深い青春でした。
母は私が高校生の時病気で亡くなり、父は若い時の事業の成功と破綻を経験した後、仕事の浮き沈みが激しく経済的に不安定。
兄弟六人(私は末っ子の三男)もそれぞれに劇的な人生を歩んで映画やお芝居のドラマのよう。
その中にあって私は末っ子の特徴でしょうか、いたってノンビリと、皆から愛情を独占するかのように、周りが雨風で吹き荒れている間にも、そうですねぇ、台風の目の中に居るような静かな世界で愛情深く育ったような気がします。
 しかしそのような環境にあっても一般的な悩み、苦悩が、ある時期凄まじく私を襲ったことも確かです。
それも音楽に関することではなく、友人問題、恋、それに伴う愛、性のこと。
人が人として生きて行くことでの矛盾と理不尽さを感じるその重さの方が随分私を苦しめていたように思います。

 音楽上の悩みは私にとって苦ではありませんでした。
演奏者としてのテクニカルな問題、表現上の問題は壁があって当たり前。
 しかし、そんな時にも常に夢がありましたし、目指すべきところがはっきりしていましたから「悩み」は「苦」にはならなかったのだと思います。
 希望というものが悩みや苦を上回っていたということでしょうか。
いや、希望や生きがいという楽しさを音楽から与えられていました。音楽は生きる希望、夢そのものでした。

 そんな時期、この日本は大きく揺れ動いていたのですね。
安保闘争です。70年安保の時、私は音楽学生でした。
 徹底したノンポリです。政治には関心は大きかったにもかかわらず、その毎日は闘争を横目で見ながら大学の練習室で無関心を装いながら一日中練習をしていた学生。
今もってその頃の私の像が私の人生の軌道を作ったように思われます。
 人と人とが争っている。暴力をもって同じ人間を襲っている。
その映像は記録などではなく、歴史としてではなく、目の前の現実として私の目に焼き付き、体全体で大きな不安、そしてどうしようもない焦燥感と無力感を、音楽の充実感と同時に感じた時代でした。
 選挙がある度に思い出すのですね、その頃の私を。
思うのです。
これからの時代を担う人たちに何を伝えられたか?
 静かな選挙前の日々。
日本はどこに向かおうとしているのでしょう。





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