八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No15


【掲載:2013/10/14】

音楽旅歩き 第15回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

[沈黙を経て放たれた言葉が、時空を駆け抜ける]

 格言の「沈黙は金なり」。
余計なことは言わない方が得策である。
この言葉、そんな意味にとって使うことが多いのではないでしょうか。
その他、ちょっと斜(はす)に構えて言えば「黙っていれば(愚か者でも)賢くみえる」という意味でも使ったりするかもしれないですね。
確かに「黙っている」ことで問題が起きなくて助かったということがよくあります。
それはきっと「喋る」ことで問題となったり、迷惑をかけたり、かけられたりした経験から身に付くのかもしれませんね。
世を渡っていく上での知恵なのかもしれません。
「言わぬが花」「口は禍の元」というわけです。

 前回のコラムでは互いに「聴き合うこと」が大切だとの主旨を書きました。
人間同士の大切なコミュニケーションは「聴き合うこと」で成り立つ、そういう内容です。
お喋りを通しての「聴き合うこと」は難しい。
しかし、より良い人間関係を作るためにも、事を建設的に構築していくためにも、互いにお喋りをキャッチボールのように掛け合いながら「聴き合って」思いを確かめ進めていく、そのことの大切さを書きました。

 今回は喋ることではなく、「黙る」ことの話を。先に書いた「沈黙は金」、イギリスの思想家トーマス・カーライルの「衣装哲学」という著書の中に出て来る言葉です。
ですがこの言葉の前が省かれています。実はカーライルは「雄弁は銀、沈黙は金(”Speech is silver,silence is golden.”)」と書きました。
つまり「雄弁は大事、しかし沈黙すべき時を心得ていることは更に大事」だと言っているのですね。
「雄弁は効果的である。しかし、時には沈黙が雄弁より効果的なこともあるんだよ」と言っているわけです。

 思うのですね、私。
多くを喋るより、実ある言葉を少なく喋りたいと。
「喋り」はコミュニケーション、人との会話です。
「沈黙」は己の内面との会話。
精神、魂、良心との会話だと思っています。
積極的に、重みある言葉を生み出すものとして「沈黙」をもっと重要視したいと思うのです。
 沈黙を経て放たれた確信の言葉、それは強く人へ訴えかけ、時空を駆け抜けます。その言葉は雄弁に語られていることでしょう。
人を変え、歴史をも変える力を持っているかもしれません。
沈黙から雄弁へ。
その過程こそが大切。決して、無気力、怠惰、無知、無関心を誘う沈黙であってはならないと私は思うのですね。
放たれた言葉を再び沈黙へと化してもいけません。
 いつしか心に残っている「この世界の悲劇は 悪しき人の暴言や暴力ではなく 善意の人の沈黙と無関心だ」との言葉が心の淵から響いてきます。
 演奏や会話は雄弁であった方がいいでしょう。
しかし、雄弁に酔いしれることなく、無駄口とならず、虚飾に満ちることなく、偽りの方便とならず、真なる実となる。
それは己の魂との対話、「沈黙」で熟考された言葉として発せられるべきものでなければならないと思っています。





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