八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.20


【掲載:2013/12/22】

音楽旅歩き 第20回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

[能力の限界に臨めることは幸せ]

 能力の限界に臨めることは幸せです。
私の立場で言えば、音楽的能力を発揮するだけでなく、希望と理想を掲げて身体ぎりぎりまで使い果たす程のエネルギーを出して演奏、表現する。
それはとても幸せなことです。
 オーケストラが最高難度のテクニックによって速く、そして大きく高く音を飛ばし、うねらせながら協奏する。
合唱は声帯の限界に挑むかのように駆使しながら、器楽的な難しいパッセージ(経過的な音の連なり)を刻み、または音と音とを柔らかく滑らかに繋げてホール全体を包むかのようにハーモニーを響かせる。
時には力強い大行進のように、あるいは突然立ちすくむように内省的に、そして神秘に満ちた祈りのように。
そんなとてつもなく巨人的な曲を先日15日(日)に演奏し終えました(大阪いずみホール)。

 オーケストラと合唱のメンバーが目を輝かせ、身体全体で音を紡ぎます。筋肉は柔らかく、しかし音は剛直に。奏された音はホールの空間を飛翔し聴衆の心へと舞い下りていきます。
能力の限界、と書きました。
そんな挑戦的で独創的で示唆的な音楽、それはJ.S.バッハ「ロ短調ミサ」。
 音楽の解説はやめておきましょう。以前、この曲について書いています(「音楽旅歩きNo.11」)。
8月、夏の暑い最中での静岡県伊豆合宿から始まったこの大曲の練習。
初めて歌うメンバーの戸惑いの顔は忘れる事ができません。
音が取れない(読めない)、音の跳躍ができない、細かい(速い)音符が歌えない、テンポについていけない。ないない尽くしの連続。
合唱とはいえ、「一人で歌えなければ、曲を楽しむことができませんよ」と叱咤激励?を飛ばして過酷に1パート一人ずつ歌ってもらう。
そんな非情な練習(いや、最高の温かいアドバイスです)を重ねて迎えた先日の演奏会でした。
練習毎に言っていた私、それが「能力の限界に挑みましょう」です。
そのことでこの曲の良さが本当の意味で解るのと同時に、歌うその一人一人の魅力が増していくことを、実践を通して演奏会で示してもらいたかったのですね。
 人間的にも深く、そして器も大きくなり、視野も広がる。それを期しての思いでした。
人間、挑戦することは難しいですね。
ある事柄に努力はできても新しい事に挑戦するのは容易なことではないですね。
それはしっかりとした目的意識とそれを成し遂げる勇気が必要になってくるからですね。
実はバッハはその目的と勇気を与える「仕掛け」をこの曲のそこかしこに示しているのですが、現代人にとっては理解するのに少々敷居が高くなってしまっているのかもしれません。
 人間にとって「挑戦」は必要です。「能力の限界を知る」が必要です。
そのためのきっかけとどう遭遇するか。
演奏会の結果を記しておきましょう。
歌えないと嘆く顔、あるいは不安げな面持ちもすっきりと満足気に、そして少し誇らしげな顔に変わっていました。
「平和への祈り」は「私」の限界を知り、超えることだと識ります。





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