八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.22


【掲載:2014/01/19】

音楽旅歩き 第22回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

[自給自足はエネルギッシュな人間の魅力]

 八重山の誇るべきは自然とそこに住む人々だと書いてきました。
自然と共存、共生しながらマイペースで豊かな生活を営む、それが私の望みでもありましたからこの地に惚れ込んだのですね。
しかしそうは言うものの生活するのは容易くはないことは自明です。
自然だけがあればいいということではないですね。
住むところが必要ですし、食べなくてはいけません。
また、もっと豊かさを追い求めなさい、とばかり次々と大都会から商品が溢れ襲ってきます。
それらを買おうと思えば少しなりともお金の稼ぎと蓄えは必要でしょう。実に悩ましい問題です。
 でも思うのですね、幸せとは何かにもよるのですが、最低限に生きていくための必要なものがそこそこあって、好きなことができる時間もあって、人とも交流でき、場もあって毎日が社会の一員であるとの誇りを持つことができればもうそれで事足れりではないかと。
幸せとはそんなものだと私は思うのですね。
その幸せが過密スケジュールとなって自身の余暇を作れない私が言うのもどうかと思われますが(軽々しく余暇なんて言ってはいけないかもしれません。
現実にはその最低限の生活すら提供されない、保証されない、余暇など作れない人々も沢山おられるのですから)

 最近思います。自給自足ができればどんなにか充実した生活の営みができるだろうかと。
私たちは生きていくために、豊かに暮らしていくために代価を支払って沢山のモノを多くの人たちから享受しています。
しかし、もしそれらを少しでも自分で作り出すことができれば根本的に生き方を変えることができるかもしれません。
生きやすくなるかもしれません。
自分に誇りを持つことができるかもしれませんし、これまでの価値観も変わるかもしれません。
 最近食べるものは自分で作ろうとする人たちが増えています。
収穫にあたっては相手は自然ですから失敗や量の変動もあるでしょうが、それを乗り越えてなお作り続ける魅力があると、その人たちが言うのですね。
多くを求めない。そこそこで良いと。
生きていくために最低限必要なものを自分で調達する、それで良いのだと。
 現代では経済が大きな重しとなって生活を支配しています。なにもかもが「お金」です。価値観にお金が関わってくる。話題のつまりはお金。
大阪では今でも、いや東京にまで行ってしまった「儲かりまっか?」の挨拶。
 原典は定かではないようですが(一般には二宮尊徳とされています)次の言葉、「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」というフレーズ。
「経済」とは?考えるべき要点ですね。
各地へ訪れる度に、地域経済というものを考えさせられます。
大地に根を張って、生き方に大地を感じさせる自給自足をし始めている人々との出会いは本当に感動的、エネルギッシュな人間の魅力です。
世界経済に振り回されることなく、地域の確固とした経済というものを確立できないのでしょうか。





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