八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.32


【掲載:2014/06/08】

音楽旅歩き 第32回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

[音楽の歴史の中、私は今どの位置にいるか(7)]

 さて、今回は脇道から戻って私の音楽史と世界の音楽史の話の続きです。
パイプオルガンを通して西洋音楽の楽しみ、文化と音楽の流れを知った私は音楽の道を突き進むことになります。
驚きでしたね、西洋の音楽がこんなにも私の心を鷲摑みにして奥へ奥へと引っ張り込んでいくことが。
音によって感情が揺れ動かされる。
暗い気持ちが明るくなり、辛く心痛の思いの体験時には苦痛を和らげ、悩みで打ちひしがれている時は前に進む慰めと勇気を与えられ、夢も希望も叶えられると思われるほどのエネルギーを体一杯に感じることができる。
もう私は何もかも振り捨てても音楽の道を選ぼうと決心したのでした。

 一般的には音楽の道を志すためには音楽家になるための確かな登竜門を突破するのが良策です。
幼い頃から世界的に有名な先生に師事する(音楽早期教育ですね)。
有名な音楽専門大学で学ぶ、そしてコンクールで賞を取り、海外留学で研鑽を積み、各地でコンサートを開いて評価を確かなものとする道。
それが音楽家が目指す道ということになります。
 私の場合は全て奥手でしたから、この道を歩んだ人を見ながら、あるいは一緒に演奏しながら我が道を行くといった道でした。
楽器を奏しての表現ではなく、いつしか指揮者への志向が強くなった私にとってはむしろ歴史や各国の文化、生活、つまり「人間」について現場で学べたことが今ではその環境に感謝です。
 学んでいくなかで、何故このような素敵で知的要素に溢れる音楽が西洋で生まれたのだろうとの疑問を持ちました。
日本の伝統音楽と比べれば余りにも違いすぎる音楽、そのことへの戸惑いが一層強く私自身に解明を迫ったのでしょう。
西洋に憧れ、西洋かぶれと言ってよいほどの若者がその勉学の悩みから起こった自然の成り行き、疑問だったかもしれません。

 音楽が何処で生まれたか? このことがもっとも大切なことではないかと気づきます。
王侯貴族の住む館からですね。
そしてそれに対峙するほどの権力を持った教会の祈りの場からですね。
しかし、これらは本(もと)を正せば、そういった身分の高い人たちによってのみ生み出されたのではなく、民衆の生活の中で生まれた音楽を彼らが取り入れて愉(たの)しみ、洗練させ、発展させていったというのが本当のところでしょう。
 民衆の猥雑とした音楽にこそ真の音楽の喜びがあると私は思っているのですが、そこに様々な芸術価値を付加していったのが王侯貴族や教会の聖職者の人々だったということですね。
そのようにして音楽が様々に様式化され発展していくことになったのですが、歴史は面白いものでその高貴な音楽が民衆へと里帰りし始めます。
「お殿様だけの音楽ではないんだ。俺たちも楽しんでいいんだ。俺たちはいつでも、何処ででも音楽を楽しめるんだ」となったわけです。
それが19世紀のヨーロッパに起こった市民階級の台頭、音楽史でいうならば古典派です。
(この項続きます)





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