八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.43


【掲載:2014/11/12】

音楽旅歩き 第43回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

[交響曲第九番「合唱付」とは何か?(1)]

 さて、今回から二回にわたってベートーヴェンの最高傑作であり、今日では「世界の自由と平和の象徴」となっている交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付き」について書いてみましょう。
前回で書いたようにベートーヴェンは当時の時代と抗(あらが)う人生、その中で常に音楽的に進化を果たした集大成的な作品です。
正にこのシンフォニーは各楽章ごとに驚くべき新しいアイデアに満ち満ちています。
特に、今日ではそう珍しくもない合唱を含む様式ではありますが、当時は考えもしなかった、できなかった合唱挿入です。
今ではその第四楽章だけ取り出して演奏することもある核心の楽章なのですが、当時はとても受け入れられなかった斬新な構成で、初演以後、この四楽章に対する無理解と演奏の困難さゆえに全曲演奏は成され得なかったのですね(しばらくは四楽章を除く三楽章で演奏)。
これは当時としても演奏時間が長い(優に一時間を越えるものですし、問題の四楽章は全体の三分の一の約20分ほど)という理由もあっただろうと思われます。
 つまり、第九交響曲は遂に彼の思想、そのメッセージを革新的に作曲したにもかかわらず、しばらくは各地での演奏会は大失敗に終わるという不遇の扱いを受けることになります。

 曲全体をまとめてみましょうか。次のような流れにあると思います。
不安・混沌の世界から理想郷を目指そうとする第一楽章、第二楽章は跳びはねるような運動性と弾む舞踏のリズムで闘いを描き、第三楽章では夢のような平安の世界を描いて理想を目指します。
そしていよいよ第四楽章の冒頭でそれまで表現してきたものをすべて否定し、ベートーヴェン自身の作詞で「おお友よ、このような旋律ではない!もっと心地よいものを歌おうではないか、もっと喜びに満ち溢れるものを」と呼びかけ、我々は全て兄弟であり、こぞって互いに抱擁しようと新しいメッセージの歌(これが「歓喜の歌」として呼ばれる旋律)を送ります。

 この曲、数多(あまた)ある名曲の中でも難曲中の難曲です。
初演は奏者や合唱の多くをアマチュアでかき集めて行われたようですし、独唱も経験の少ない歌い手であったり、練習不足とも重なって私たちが想像してきたような成功ではなかったとの見方が強いです(初演の大成功説はベートーヴェン取り巻きの反応かもしれません)。
大成功を収めたのはその後暫く経ってからで、ベートーヴェン信奉者の音楽家たちが十分な準備を整えての演奏によって勝ち得たものです。
にわかづくりでは到底太刀打ちできる曲ではない!
このことを私自身も幾度か演奏してきた経験で身に染みています。
 世界を見渡しても演奏される機会の少ない曲が日本では一番多く演奏されている、とても素晴らしいことだと思う反面、心して演奏に臨まないとこの曲の素晴らしさ、メッセージが伝わらないと危惧するのですね。
次回は各楽章ごとの説明を演奏者の立場からしてみましょう。
(この項つづきます)





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