八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.62


【掲載:2015/10/18(日)】

音楽旅歩き 第62回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

【人の暮らしは響きの歴史(その8)】

 さて前回は音を再生させる機器、蓄音機のことについて書いたのですが、今回は私たち日本人の響きの感性について書いてみたくなりました。
生活の環境や個人の感性によって感じ方が異なると思うのですが、その流れを俯瞰(ふかん)して見ようと思うわけです。
それぞれの時代にあった環境があるのですから、その中で響く音も違っているはずですし、人間の聴き方も違っているはずです。
それらを眺めながら人間と響きの関係を考えて見たいと思いました。

 先ずは大きく、日本の歴史から眺めてみましょうか。
ざっといきますね。《原始》縄文時代と弥生時代、古墳時代。
《古代》飛鳥時代に奈良時代。
《中世》平安時代、鎌倉時代、南北朝時代、室町時代、安土・桃山時代。
このあたりで《近世》となり江戸時代前期・江戸時代後期。
《近代》明治・大正時代、昭和時代(1945年まで)。
そして《現代》戦後(1945年から今日まで)。という区分に分けました。
異なった区分の仕方があると思いますが、音楽の流れを考えればこの時代区分としても良いかと思います。

 縄文時代を想像してみましょうか。
石笛や土笛、琴などが響いています。誰がどのような場所でどのような時に鳴らしていたか?想像するのも楽しいです。
弥生時代や古墳時代は渡来民が運んできた楽器が加わり、太鼓、鈴、銅鐸などが響いています。飛鳥時代、奈良時代に到っては更に海を渡ってきた華麗で豪奢な響きを持つ楽器や、大衆的な芸能で使われる楽器も響き渡ります。

 平安時代に鎌倉時代、そして南北朝時代に室町時代には、日本らしさの響きである今様(いまよう)、声明(しょうみょう)、琵琶の音の平曲(へいきょく)、猿楽(能楽の旧称)、田植え時に儀礼として鳴らした笛・太鼓・ささら(竹と竹をすりあわせて鳴らす)を用いて田楽が響きます。

 安土・桃山時代には能や狂言、そしてなんと、ヨーロッパからやって来たキリシタン音楽が驚きの(当時の人たちが仰天した)中で壮麗に響いたのですね。
 江戸時代は益々日本の響きが作られ(特化され)、三味線組歌、箏曲、義太夫節、長唄、清元、新内らが連なり、庶民の響きが賑わいを見せ日本文化の花が開きます。
 明治・大正後の流れは省きますね。

 日本人がどのように音を、響きを聴いたのか?聴き取ろうとしたのか?
それを俳句、松尾芭蕉の句から読み取ってみたいとそぞろに思いました。
 俳聖は詠みます。清少納言が「ちちよ、ちちよ」と鳴くという蓑虫を秋風の中に聴きませんかと誘う句「蓑虫の音を聞きに来よ草の庵」(みのむしの/ねをききにこよ/くさのいお)。
もう一句、「蜘蛛何と音をなにと鳴く秋の風」(くもなんと/ねをなにとなく/あきのかぜ)。
鳴かない虫の音を聞く俳人。しかしこの心の有り様はまさに日本的だと思いますね。
そして俳句の素晴らしさですね。
音(おと)を音(おん)としても詠む、その中に浮かぶ心模様。芭蕉の句、続けます。
(この項続きます)





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