八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.63


【掲載:2015/11/04(水)】

音楽旅歩き 第63回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

【人の暮らしは響きの歴史(その9)】

 日本人の「音」を聴く感覚は深く心の情動と結び合っていることはよく知られていることです。風の音や虫の声に心を通わせる。
響きの良い音だけにではなく、雑音の類に入る響きにも意味を持たせ、感情をゆり動かす。
日本人の音感覚はやはり繊細、だと言って良いかと思います。感情のヒダが多く、深く、柔らかだと思うのですね。
 その感覚的な日本人としての特性は、もっと世界にも発信しながら人と人との繋がりに貢献できるのではないかと思います。  春夏秋冬、その穏やかな季節の移り変わりに聴いてきた様々な響きに感覚を研ぎ澄ませてきた我々、大事にすべき共通の特質であることを昨今強く意識し始める私です。

 人間って基本にあるのは「静けさ」ではないでしょうか。
生活の中では大きな音が支配的ですが、そしてまた、時折自らも大きな音を発生させることを無頓着にやってしまいがちですが、本来は「静けさ」を求める、あるいは「静けさ」の中に居る生物ではないかと思います。
そうでなければ自らを守る環境を作れないからですね。
身体にとって静けさの中であることこそ危険なものに対して警戒できる環境を作ることができるのですから。騒音の中ではささやかな異変にも気付くことが難しいですからね。

 自然の音にも心を動かされてきた日本人。雑音でも友としてきた日本人。
それは「静寂」を充分に味わうことができたからこそ。
 その感覚を前回、松尾芭蕉の俳句に求めました。
今回は有名な句、「奥の細道」から「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」(しずかさや いわにしみいる せみのこえ)を。
これは蝉の大きな響きが主題ではありませんね。静寂の中でこその蝉の声。
 静寂が主題です。面白いことにこの蝉がアブラゼミなのかニイニイゼミなのかという論争があったとか。一応、ニイニイゼミに軍配があがったそうですが、そうならば耳鳴りのような高い響きですね。一斉に鳴いていることが多いですから想像するに耳が痛い。
 もう一つ有名な句です。ちいさな蛙が飛び込むかすかな音を詠んだ「古池や蛙飛びこむ水の音」(ふるいけや かわずとびこむ みずのおと)。
飛び込んだ蛙、けっして大きくはないと思うのですがどうでしょう。どちらの句も物音しない静けさゆえの、〈静寂にして心の澄み渡る風景〉です。

 芭蕉はまた大きく広く激しい音風景も詠みます。
「奥の細道」から最上川の船下りの際に詠んだとされる句、「五月雨をあつめて早し最上川」(さみだれを あつめてはやし もがみがわ)。 
 そして別の旅で詠んだ句、「五月雨の空吹き落とせ大井川」(さみだれの そらふきおとせ おおいがわ)。
 滔々と流れる両川。その音が聞こえてきそうです。大井川の句は濁流渦巻く川が迫ってくるようですし、俳聖の思い「いっその事さみだれの空を吹き落としてくれ!」のなんと動的なことか。
静寂の世界があるからこそ感じる音。日本人の繊細でダイナミックな心模様です。
(この項続きます)





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