八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.68


【掲載:2016/01/17(日)】

音楽旅歩き 第68回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

【人の暮らしは響きの歴史(その13)】

 今年の正月は金沢で過ごしました。
街の佇(たたず)まいと知人に会いたくなって出掛けたのですが、もう一つ目的もありました。
以前このコラムでご紹介しました(2015年9月28日、No.61)蓄音機を再度聴きに行くためです。
 暖かい正月。雪のないスキー場の温泉ホテルで泊まり、その温泉の良さを堪能して街の「金沢蓄音機館」へ。初代館長の故八日市屋(ようかいちや)浩志氏が収集してきた蓄音機540台、SPレコード約2万枚を基に、平成13年7月に開館された施設です。

 館の二階に陳列されている蓄音機で現在の館長さんの案内と共に実際の音を聴きます。やはり素晴らしい音響なんですね。
以前のコラムではこんな風に書いて説明しています。
『以前、金沢に遊びに訪れた時「金沢蓄音機館」に行ったのですが、そこで聴いた「音」に驚きました。確かに今日のLPやCDの(クリヤーな)再生音にはかなわないところがありますが、その想像を遙かに超えた(豊かな)音響はとても魅力的!だったのでした。
蓄音機って電気を使いませんね。音声の振動を物理的な溝の凹凸ないし左右への揺れとして記録したレコードから、ターンテーブルの動力に手巻き式のぜんまいや巻き上げた重りを利用し、針によって振動を取り出し拡大して、音声を再生する装置(レコード盤に刻まれている音を針で拾い、振動板と呼ばれる雲母(のちにジュラルミン)の板で増幅、それを「アーム」と呼ばれる管を通して大きくし、さらに出口である「ラッパ」部分から空気の振動として人の耳に伝える)』
括弧内は今回補足しました。

 ここに館で頂いた案内書からその歴史の始まりを記してみましょう。
1877年(明治10年)シャルル・クロ(仏)が音の記録と再生の方法を提案する。トーマス・エジソン(米)がフォノグラフ(錫箔〈すずはく〉式蓄音機)を発明。
1887年(明治20年)エジソンがフォノグラフ改良。蝋だけの蝋管を開発。エミール・ベルリナー(米)がグラモフォン(平円盤式蓄音機)を発明。
1889年(明治22年)鹿鳴館でグラモフォンの試聴会が開かれる。日本での蓄音機初公開。
1899年(明治32年)日本最初の蝋管式蓄音機専門店が東京・浅草で開業。
1903年(明治36年)デニソン(米)がトーンアームを発明、蓄音機の形態と音質が大きく変化。
1909年(明治42年)日米蓄音機製造(株)、日本で最初の平円盤式(10インチ片面盤)レコードと蓄音機の製造を開始。

 最初のレコードは蝋でできた円筒状のもの、それが平円盤、SP盤と呼ばれる78回転盤、第二次世界大戦を経てLP盤、EP盤(7インチ45回転ドーナツ盤)、テープ、そしてCDと移り変わってきました。
 蓄音機から流れてくる歴史的演奏を聴きながら、体の力みが取れていくのを感じました。あの音楽に混じっての雑音がとても心地良く感じる私がいることに幸福感を抱いたのですね。
(この項続きます)





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