八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.74


【掲載:2016/04/20(水)】

音楽旅歩き 第74回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

【人の暮らしは響きの歴史(その18)】

 石垣島にはこの現象は無いと思われるのですが今回は都会の雑踏の話です。
電車の超満員の超圧縮空間、よくぶつからないなぁと思うことしきりの人通りの超過密な流れ、話題の店に起こる長蛇の行列、とにかく都会は人、人、人の過密な流れです。
北海道から大阪にやってきた友人はその人の流れ、多さに音を上げ、「目が回る」と言って来たがらなくなりました。
実は私も繁華街だけではなくいつも通らなければならない駅などで目眩を起こします。東京では終電車も曜日によっては超満員ですから、その怖さといったら・・・・・、今思い出しても恐ろしいです。
 しかし、驚きはそういった混雑の現象だけでなく、それらの人の動きにこそあります。
整然と流れますし、ぶつかりそうになってもぶつからず、人と人との間隔を狭めながらも一定の距離を保つという技に長(た)けるのですね、感心してしまいます。
不思議に思うことがあります。雑踏の中、向かってくる人とぶつかりそうになったとき、こちらとしては避けようとしますね。
相手も避けようとするのですが、避ける方向が一緒になって何度かぶつかりそうになります。
傍(はた)から見れば滑稽な格好です。あれってどうして同じ方向になるのでしょう。
また最近多くなったのですが、幾分離れた距離にもかかわらず避けること無く真っ直ぐ向かってくる人がいます。方向を変える余裕がありながら、変えないのですね。
これは自分は避けないが、あなたが避けなさいということなのでしょうか。

 都会は本当に疲れます。人が多いということは良いことばかりではないです。
さてこのコラム、響きがテーマでしたね。
雑踏での響きはそう気にはなりません。雑踏そのものがストレスですからきっと麻痺しているのでしょう。無意識のうちに耳は相当の負担を強いられ、身体全体にも生理的なひずみを引き起こしている筈です。
雑踏の中、かざしながら撮るスマートフォンのカメラ音も気になるといえば気になります。
シャッター音といえば、日本では、そのまま音を消すことができないのですが、外国では消すことも選択できるらしいです。
日本では盗撮防止のために音を鳴らすのですが、静かな環境で写真を撮りたい場合、この音に対する無神経さを時折ですが恨めしく思うことがあります。
雑踏での音響、極めつきが新幹線ホームの駅員が発するマイクによる案内でしょうか。
本当に大音響です。会話など吹っ飛んでしまいます。
事故防止のためとはいえ、心臓が止まりそうな大音響です。
時には怒って叱りつけるような注意もあったりで閉口してしまいます。
音による迷惑音といってもよいように思うのですが、人の流れは静かに滔々と続くのですね。
 このコラムの初め、石垣島の「静けさ」が貴重だと書きました。
自然の風景の美しさ、ゆったりと流れる時間、そして静けさ。
この豊かな環境は人間にとってどれ程の価値を持っていることか。それをまた再認識する都会での日々です。
(この項続きます)





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