八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.90


【掲載:2017/01/29 (日)】

音楽旅歩き 第90回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

【「先生」と呼ばれて身は凜とする】

 「先生」と呼ばれるようになって私は何年経つでしょう。
団体を主宰したのは28歳頃、でもその頃はまだそう呼ばれてはいません。
その頃には既に何人かの弟子(らしき人)もいましたし、幾つかの合唱団で指揮もしていましたから、早くから「先生」と呼ばれていても良かったかもしれませんが、まだ呼ばせてはいませんでした。
 実のところ、本当の意味での「先生」と呼ばれる人間になりたいと思っていました。
それは私の目標、理想だったからです。
その思いは、今でも尊敬の念を持ち続けていられる「師」との出会いがあったからです。
 例えば小学校三年生の時に出会った先生、中学校三年生でお世話になったクラス担任、そして人間としても、音楽家としてもその基礎を作って下さった高校時代の音楽の師。
それらの先生方には言葉には尽くせない感謝の思いがあります。
人生とは何か、人としての価値とは何かを考えさせられ、教えられ、それらを通じて夢が与えられ、そしてそれらを社会との繋がりとして体験させていただいた貴重な時間でした。
時々に起こった軋轢ある私の生きる歩みの中での深い愛情によった先生方の〈寄り添い〉であったのだ、と思っています。
その方々が私の「師」となりました。
 そういった中で、人が言うところの「反面教師」と呼ばれる先生との出会いもありました。
でもその出会いによって、一層私の目標が定まっていったようにも思われますから、それらは決して良くなかったわけではないと思えます。

 「先生」とは、〈人を観る〉〈先見性があり〉〈むき出しの感情に走らず〉〈智慧を持ち〉〈人や物事にあたって柔軟性があり〉〈教えることに情熱を傾ける〉ことのできる人、それらに向かっている人、導く人だと思っていました。
そう成りたいです。それが今後も目標です。
そういった思いでしたから「先生」という呼び方については若い頃から意識せざるを得なかったわけです。
呼ばれるからには私自身が納得できる「人」とならなければならない!「反面教師」と言われたくない!
そんな突き詰めるような思いでしたから、いつしか「先生」という呼称に違和感を抱いたり、重苦しくなっていたりしたようです。
 しかし、今では公私ともにこの「先生」が私の呼び名になってしまいました。
「当間さん」や「修一さん」と呼ばれることはそう呼んで下さる方と一層距離も近づけたとの喜びなのですが、「先生」と呼ばれた時には、それはもう常に背筋がピンと張るような緊張が走っています。
しかし例えそのような緊張が続いたとしても、私は良い「先生」だったと言われるような人であり続けたいですね。
体験を通して教えていただいたあの貴重な時間を、今後も私が人に伝えていくことができますように。
何を受け継ぎ、何を受け渡し、将来に何を観るか。そんな知識、見識を持った人間でありたいと思っています。
音楽団体を創った頃を思い出します。今やっと力が抜けて、「先生」と呼ばれたいと本気に思えるように成りました。





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