八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.114


【掲載:2018/03/06(火)】

音楽旅歩き 第114回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

街の人口密度と蟻の世界

 都市の繁華街に出ると一瞬目眩(めまい)が起こることがあります。
特に駅コンコースでの人の流れはその最たるものです。大都市の主要駅に降り立った時は緊張を拭い去ることができません。
あらゆる方向から人が突進してきます。
それぞれの目的に向かって歩いているだけなのですが、乗降客の多い乗換駅での狭い通路を急ぎ足で歩いている様をみれば、まぁよくぶつからないものだと感心するばかり。
私など長年住み慣れていてもその状態が〈怖く〉、どんどんとその思いも募っていきます。本当に不思議、そして不気味な光景です。
仕方ないことだとは解っているのですが、少し人口密度が高すぎます。
人が多ければ繁栄、繁盛と思われますが、人ってそんなに密集に対して頑丈にできているとは言えないですね。

 前回、北海道のニセコに行く空港事情を書きました。
そして目的地であるニセコでは、外国の人たちの溢れる町に一変している光景を目の当たりにしました。
まぁ広い北海道ですからまだまだ余裕があるのかもしれませんが、少しその状態が異様に見えます。
もうニセコは「外国」といって良いという情勢です。「街とは?」と少し考えさせられる事でした。

 雑踏の話でした。とにかく、人が多いというのも困ったものです。
このことでちょっと思い出すことがあります。時々このコラムでもご紹介している東大薬学部教授・脳研究者の池谷(いけがや)裕二氏のツイッター(Twitter)でこんな興味ある記事が掲載されていました。
蟻の世界のことです。
 それは【怠け者の哲学】という題が付けられているのですが、「アリの集団を観察すると、働きアリの半数ほどはロクに働いていないことがわかります。
でも、よく働くアリが働かなくなると、働かないアリが働きだし、集団パフォーマンスを維持するのだそうです。」とあります。
蟻の世界は興味深いです。
集団で行動するモデルとして色々取り沙汰されます。
雑踏を生み出す人の集団と同一に考えてはならないかもしれませんが、人の「役割」と数との関係に類似性と、そして示唆を感じてしまうのですがいかがでしょう。
もう一つ蟻についての記事がありました。これも面白い話なのですが【蟻の治療】という題。
「戦闘で負傷して足を2本失ったアリを、仲間たちは巣まで運び、汚れを落とし、傷口に抗生薬様物質を塗るそうです。
こうしたケアを受けることで24時間後の生存率は70%もアップします(しかし足を5本失った戦士は見捨てるそうです)」。
う〜ん、と唸りませんか?
 またまた雑踏の話に戻るのですが、駅のコンコースでの行き交う人の流れは蟻の行進の様です。
あんなに複雑で勢いもある動きの中でぶつかり合う人はそうはいないのですね。
器用に避けて通り擦り抜けます。
見事なものです。が、これはきっと疲れを大きくしていっているのでないかと想像します。
人が生活することの適正なバランス、その対処法を益々思うに至りました。





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