八重山日報コラム

「音楽旅歩き」No.121


【掲載:2018/07/08(日)】

音楽旅歩き 第121回

「大阪コレギウム・ムジクム」主宰 指揮者  当間修一

「歴史」を観るには大きな想像力を!

 毎日私たちは個人の歴史を刻んでいます。
それらを後世から見れば社会の歴史として記録されていきます。
実は個人的な人それぞれの毎日の暮らしの流れが括(くく)られて、大きな社会の歴史として認識されていくわけですね。
人は、人との関係において、地域的な制約の中で生活の場を築き上げてきました。
文化や、芸術を育んできたそれらは素晴らしい足跡として輝いていることは確かですが、しかしその中に思惑の絡んだ人と人との争い、国同士の戦争という殺戮(さつりく)があったことも忘れてはならないでしょう。
人間の進化、成長と言って良いかもしれない輝かしい文化的向上。
その底には、生物としての命を懸けた生存競争があったわけです。
振り返って見れば歴史というものは全て真偽(しんぎ)を見極めなければならないという難題をもっているとはいうものの、それらについての心眼を持つ、追究しようとする姿勢は人間の素晴らしい能力の一つだと思います。

 ユネスコの世界遺産委員会は、日本時間の6月30日夕方、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の12の構成資産すべてを世界文化遺産に登録することを決めました。
若い頃から「キリシタン」については興味がありました。
高校の時にオルガンに接したことをきっかけとしてキリスト教の洗礼を受けた私。
オルガニストという仕事を通じて、また指揮する演目で「隠れ切支丹(キリシタン)」は常にわたしにとっての関心事となっていました。
キリスト教徒であってキリスト教徒ではないと言われていた「隠れ」のキリスト教徒たち、キリシタン。
世界文化遺産には「隠れ」ではなく、「潜伏(せんぷく)」となっていますが、これは言い得て妙です。
その人々の暮らしぶり、その教義、そして世界の宗教史においても共通する殉教(じゅんきょう)という死。
それらが後の人々に、歴史に与えた影響力は計り知れません。
これからは指定された長崎や天草地方に多くの観光客が訪れることでしょう。
その経済効果もまた計り知れないほどの規模になるかと予想されています。
願わくば、表面上の観光としての訪れだけではない「歴史的な事実」を〈見て取る〉訪れとなるものであって欲しいと思います。
何度か私もそれらの地を訪れる機会を持ちましたが、観るわたしの目がそれらの地に起こった出来事を想像することができなければ訪れる意味も半減したというもの。
是非とも「歴史」が見える「旅」を、と思います。

 急に話は変わるのですが、今月(7月)31日に火星が地球に「大接近」するそうです。
国立天文台(NAOJ)サイトに詳しい情報が掲載されています。
およそ2年2カ月ごとに地球に接近する火星。
地球やそこに住む我々人類の歴史など、宇宙的に観ればほんの小さな小さな一瞬の出来事でしょう。
人類の歴史に分け入る。
今月末の夜空に浮かぶ火星を眺めながら、様々に、歴史を考えてみたくなりました。





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