'96/12/4

「ミサ・ソレ」再考


「ミサ・ソレ」とはミサ・ソレムニスの略、すぐに略するのが日本人の良いところか困ったところかわかりませんが、われわれ音楽仲間では「ミサ・ソレ」と言います。
いろいろな作曲家による「ミサ・ソレ」がありますが、このページの話題はベートーヴェンのそれ。
次の日曜日に演奏するベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」ニ長調 作品123のことです。

12月ともなれば恒例の「第9」の演奏会が開かれます。
一昨年までは私もその「第9」を演奏していたのですが、昨年から「ミサ・ソレ」を始めました。
両者を演奏した違いの感想を書こう思います。
書法としては「ミサ・ソレ」の方がしっかり書かれているように思われます。
オーケストレーション一つ取ってもよく練られた後があります。
演奏していても無理がありません。(相変わらず声楽処理は感心しませんが)全曲を通じてオーケストラにとっては難しい曲ではありますが、決して理解不可能というわけではないのですね。
その点、第9の方は理念の方が先行しすぎているというか、理想・構想が先走っていて、楽器処理や声楽処理に無理があるように思われるのです。(しかし、実際の演奏では第9の方が歌っている時間は短いですね。その点ミサ・ソレは合唱の負担は第9の何倍もあります)
演奏をしているものにとっては、どちらも魅力的なのですが、あまりにも一方だけがもてはやされ過ぎているようで公平さに欠けるように思われて仕方ありません。
ベートーヴェン自身が言う、「ミサ・ソレが最高傑作」という言葉にも耳を傾けるべきなのではないでしょうか。
歌われる理念も対峙することはあっても、決して見劣りするものではないと思います。

懐疑的な部分を垣間見せながらも、自己の神を信じ、世界の平和を祈願するベートーヴェンの意志堅固な表現は、彼自身の悩みも告白しながら熱いメッセージとして我々に訴えてきます。
多くの方々にもっと聴いていただきたい曲の一つです。