'97/3/22

「無限曠野」(関西初演)を終えました


きのう、以前からずっと報告してました「無限曠野」の関西初演を終えました。
今日はその報告です。
演奏が終わったとき団員は泣いていました。
私も目が潤んでしまっていました。
感傷にひたってはいないつもりです。
作品から受けるメッセージ、そして柴田先生の思いを受けての素直で率直な反応だったと思っています。
先生ご存命のおりには、きっとにこにことされて楽屋を訪れて下さり、「いやぁ、びっくりしましたよ」と言葉があったに違いありません。
演奏に関して、この「日記」をご覧頂いていて、なおかつ演奏会に来られた方は是非とも感想をお聞かせください。(メールをお待ちしております)
様々な感想をお持ちになられたことでしょうし、それでいいと思っています。柴田先生も色々な意見をきっと喜ばれるだろうと想像します。
しかし、演奏した者としてそれを判断する最小限の私の解釈や感想は書くべきでしょう。
それが演奏した者の責任です

第一曲「天駆ける鹿」、第二曲「コサックの子守歌」、第三曲「雲に寄す」、第四曲「裸木」、第五曲「小垣内の(おかきつの)」までは純粋の合唱曲としていかに音楽的に処理するかを考えました。
全体にゆっくりとしたテンポを指示されています。正直言いましてこの指示されたテンポでの演奏には我が団にはもう少し時間が必要だと考えました。
今年の9月、そしてその後の東京公演では実現したいと思っています。
その原因はやはり私たちのスタイルはテンポの速い、アップビートの音楽を得意とする方向で訓練してきたところにあると思います。
しかし、日本語の明晰性は実現できたのではないかと自負するところです。そして全体を貫く緊張感、各楽曲の流れ、フレーズ間の相対性は納得していただけたのではないかと思います。
第五曲「小垣内の(おかきつの)」が終わり、続く終曲、「大白道」のシアターピースの演出は様々な議論を呼ぶかもしれません。
草野心平の詩の解釈が鍵を握っています。ここで歌われた初版では明らかに戦争批判とも受け取れるものです。ついに祖国の地を踏めなかった男たちの挽歌を通して、戦争の空しさを訴えるものです。しかしこれは出版されず、残念ながら後に発表されたものは自らの手で書き換えられ、内容が微妙に変化し、戦いの空しさや批判とも受け取れる箇所が薄まっています。
夫人の純子先生の話によりますと、柴田先生はこの初版の詩を特に選ばれたそうです。
そしてその詩につけられた曲は明らかに詩の途中で意味上の転換が行われ、作曲者のメッセージが濃厚に浮き彫りにされる形となりました。
「天皇陛下ばんざいも」というテキストではその前のフレーズからオクターブ下がった低いトーンで歌われるといった示唆、「静かにふらふら歩いている」に書かれた下降型の音符、「もう、つかれることもなく」の低音域、「静かに微笑み歩いている」の「ほほえみ」に書かれた様々な表情の音型、これらの後に「ああ、とつじょ」のフォルテシモによる転換があるのです。

楽譜には書かれていない先生の構想時のメモを私は純子先生から頂きました。
それを読み、今回の最終の演出が整いました。
来て頂いていた音楽関係者の方数人から最後の演出は行き過ぎではないか、過激すぎるのではないか、といった意見が聞かれました。しかし、私は今回、柴田先生のメーセージは基本的なところで伝えられたのではないかと思っています。
聴いていただいた方々に鮮烈な衝撃があったとすれば、それは柴田先生のメッセージではなかったかと思います。少なくても合唱団一人一人が受け取った先生の思いだったと思うのです。
団員たちの最後に流したものはその涙だったと思うのです。

指揮者から自分の主宰する合唱団にいうのも変かもしれませんが

「貴方達はホントに素晴らしい。私の誇りです」

柴田作品の関西初演を多くしてきました。その経験の積み重ねを合唱団員はしっかりと身に付けてきたと思います。
西洋音楽も私たちのレパートリーです。
そして柴田作品も私たちの主要で、大切なレパートリーとなりました。
今年、そして来年とドイツ各地で柴田作品を紹介していく予定です。
聴衆の驚きと感動の表情が今から予想されます。楽しみです。

'97/3/22「無限曠野(関西初演)を終えました」終わり


Back

Next