No. '97/5/16

日本語の書き言葉


ここに書く文もそうなんですが、言葉の使い方に気を使います。
喋りではイントネーションや顔の表情、身ぶり手振りで言いたいことの要旨はなんとか伝わりますね。
しかし、文章となるとこれが難しい。
中でも電子メールの文章は特にやっかいなものです。

大阪コレギウム・ムジクムではメーリング・リストによるネットワークを結んでいるのですが、ここでは一日に相当数のメールのやり取りが行われます。
お互いのコミュニケーションをスムーズに運ぶために始めたものですが、それがかえって気まずくなるといったことも起こり得るんですよね。
最近は少なくなったのですが、始めた頃は互いの意志が文章では伝わらず、ピントがずれたメールが飛び交っていました。
中には感情を害し、論争となったこともあります。
表現のしかたや、書き方がとげとげしくて不親切になり、つい感情的になるといったことです。

日本語は<丁寧すぎる>という意見がありますね。
私もそう思うときがあります。
無駄を省いてもっとスッキリとすればいいと思うときがあります。
例えば、指揮をする時がそうなんです。欧米では奏者のことを気にせず、「ダメ」を出すことができますし、演奏の仕方をダイレクトに指示できます。(大指揮者になるほど巧みですね)
しかし、日本では人によって言い方を変えなければなりません。また、指示をするときなど<気を使った>言い方をしないと「生意気」だと思われてしまうんです。
こういったときは「もっとダイレクトでもいいのに」と思ってしまいます。

文章のときはちょっと事情が異なることがあるんですね。
電子メールを書くとき、<用件だけを端的に書く>だけで良い、という意見があります。
私も賛成です。
しかし、それがいいと思うのですが、もしそこに相手に対する少しの思いやりと、そして粋で、なおかつユーモアが伴えばもっと気持ちの良いコミュニケーションが生まれるということもまた事実なんですね。
用件だけ、というよりはなんか気持ちに余裕がうまれるというか・・・・・。
私など、誤解を生むんじゃないか?あるいは私の真意が伝わらないのではないか?という不安からか、手紙、電子メールなど極端に神経を使ってしまうんです。
その為に今までも随分手紙やメールに対するお返事を出せなくて失礼してきました。
文章を書くときこそ、常日頃のお喋りの不足を補って心の機微を伝えるチャンスだと私は思っているんです。

文章を書くのは難しいですね。
でも、文章は思考の結果として記すことが多いのですから、人格がそこに表れることを十分に知っておかなければならないと思うんです。
優しさやユーモアに溢れ、そして機知に富んだ文章に接するとホント心が洗われますよね。
なかなか思うようにはいかないのですが、そのような文章が書けるように励みたいと思っています。(といいながらこの文章はかたいですけど)

実は、最近私は私たちのメーリング・リストやメールのやり取りでとっても心が豊かになるような文章に出会えています。
今私は本当にうれしいんです。
始め不慣れだったメンバーも、メールのやり取りを通して心が通じ合う温かいコミュニケーションを実現していっているんですね。
今日はちょっとそのことを書いてみたくなったんです。
その文章はここに載せられないのが残念なのですが、それらを読んで受け取った印象をなんとか自分の書く文章に生かし、そのことで読んで下さっているみなさんに間接的ではありますがお伝えできればいいのですが・・・・・・・。

'97/5/16「日本語の書き言葉」終わり