No.102 '97/9/11

イタリア旅行記(ヴェネチア後編最終版)


モンテヴェルディのお墓を訪れ、ガラス工場の見学をし、そしてヴィヴァルディが活躍した教会に立ち寄った私たちは、夕方にもう一度この教会に来る約束をして(ここでガイドをしてくれた人の提案でした)次なる場所へと移動しました。

次なる予定の場所はサン・マルコ寺院に併設するドゥカーレ宮殿です。

左は入り口、右の写真は中庭です。中の写真は撮れませんでした。皆さんにお見せできないのが残念です。
このドゥカーレ宮殿(総督官邸)とはヴェネチアの栄華を誇る建物、そしてその象徴です。
歴代の世俗的最高権力者としての総督(ドージェ)が居を構えた宮殿です。
ヴェネチアという町の特徴をよく表しているのがこのドゥカーレ宮殿でしょう。

特別なところが見学できる、ということでガイドさん(素敵な人でした。我々の間では合唱団員のKちゃんに似ているとのウワサでしたね)に連れて行かれたところがちょっと予想を越えてビックリした所でした!

昔この町を訪れる人々をその豪華さのゆえに驚かしたという階段を上がったところで一般の見学者とは離れ、ある部屋へと導かれました。我々はそこから幾世紀かを遡った空間へといざなうことになったのです。
ドージェの執務室、会議室、そして裁判室および拷問部屋、(これが驚きでした。またそのシステムは驚嘆すべきことがらでしたね)留置所(牢屋、もっとも罪が重い人のための独房室)などを次々と見学です。そして案内してもらった最後の場所は宮殿の屋根裏ということだったのです。
つまり、執務室から独房へと我々はどんどん上へ上へと上がっていっていたのですね。
そして最後の屋根裏の木々の骨組み(海に浮かぶ島らしく、伝統の船造りの構造をそのまま採用し、今日まで屋根を支えているそうです)を見、外の風景を見、もと来た道を通って私たちが始めの部屋に入ったとき、私たちは息をのむほどに驚いたのです。
出てきた扉は始めの扉ではなく、タンスの扉だったんです!
つまり秘密の扉から出てきたんです!
ここでのガイドさんの説明は十分に私を納得させました。
ひょっとするとこの町ではとても立派な民主政治が行われていたのではないかと思わされました。時代的な背景が裏にはあったにせよです。(たとえば拷問や自白に関することです)

さて、驚嘆の宮殿を後にした我々は先ほど約束したヴィヴァルディが活躍したピエタ教会へと向かいました。
教会でガイドをしてくださった女性が、私たちがドイツでの演奏会を済ませて立ち寄っている合唱団だと知ると、「歌ってもいいよ」と言ってくれたのです。
ヴィヴァルディが演奏した教会です、どんな響きがするか興味があったものですからみんなに歌ってもらったんです。

響きは予想通りとてもよかったです。みんなの響きを聞きながら私はヴィヴァルディがどうしてあのような構成の曲を書いたかが解りました。観光客も聴いていて拍手が起こっていましたね。

気になっていたことがありました。それは、今でも孤児院のピエタは存在するのか?という疑問でした。
ガイドさんに聞くと「ある」と言うのです。隣接する建物(今はホテル)と教会の裏の建物です。

みんなの歌を聴きながら、そのガイドさんは来年ここで演奏しないかと言って下さったのです。「検討します」と言ったのはいうまでもありません。

疲れてもいたと思うのですが、私たちはそこでの温かい、そしてうれしい反応に気を良くして教会を出ました。
トイレに行くことも忘れていたわれわれはトイレ探しです。
外国でのトイレは困りますね。
ここでも探し当てたのは随分歩いてからです。
小銭を用意しなければ用を足せませんし、そんなに沢山トイレがあるわけではなりませんから。しかし、どこでも思うことですがトイレはきれいですね。日本のような公衆トイレは見かけませんでしたよ。

用を足した私たちが次の行動といえば、やはり楽しみの食事です。
今日はサブリナの友達のパトリッツィアさんと合流です。
前夜のロベルタさんとはまた違った雰囲気で、サブリナの交友の広さには感心させられました。
そして、旅行の最終日にふさわしい食事となりました。
その報告は団員の山川美弥子さんの文章を参照です。

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それは・・・・。
ヴェネツィアでの2日目の夜(つまりイタリアでの最終日)、サブリナは私達を魚料理のおいしいレストランに連れて行ってくれました。
そのレストランに、すごい人がいたのです!

彼はそのレストランのオーナーで、始めは料理の盛りつけをしたり、運んだりしていました。
ところがその仕事が手すきになると、やおらギターを取り出し私達ののところへ来て歌を歌ってくれたのです。
その歌が、歌声が本当に素晴らしかったのです!!

最初の曲はヴェネツィアの古い民謡でした。
(隣のテーブルも団体さんでした。地元の人達らしく、みんな一緒に歌っていました。)私の真後ろで歌ってくれたのですが、もう、その声のすごかったこと!!(私の)体中にびんびん響いてくるのです。
喉はくっきり開いていて、喉の奥まで見えるかと思われるほどでした。
しかし決してこもって『鳴門状態』ではありません。
明るい歌声でした。そして元気な歌声でした。
よく鳴り響く(鳴り渡る)声でした。彼の体中が共鳴体のようでした。
驚いたことにその響きは、後ろを向いて歌っているときでも変わらなかったのです!!(つまり背中にも響いていた・・・!)
そして、本当に楽しそうに歌ってくれました。(もちろんすごく旨かった!)
私は「これぞイタリアだ!」と思いました。
なんて明るくて、エネルギッシュな歌・・・!
(その彼がプロでなく、本職はレストランのオーナーなのです・・・!)

私達もエネルギッシュに応えたのではないでしょうか。
彼の歌に合わせて、盛り上げる.盛り上げる・・・。
彼が隣のテーブルの方で歌っていても、ノリはこちらのテーブルの方が良かったぐらいですから・・・・。
何曲か歌った後、彼は「次はあなた達の番だ」と言いました。
(サブリナの友達なので、私達が合唱団であることを知っていたのです。)
こういう時のノリの良さは、さすがシュッツ合唱団です。
早速、何曲か歌いだしました。
またもや道行く人達が立ち止まり、拍手喝采をしてくれます。
そして、また彼が出てきて歌い・・・・。
なんて忙しかったのでしょう、歌うわ、食べるわ、飲むわ、しゃべるわ・・・・。

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ということにあいなったわけです。
この夜を最後に私たちのイタリア旅行は終わりました。

「また来年こようね。」それが私たちの合い言葉でした。

これでイタリア旅行の報告は終わります。
長らくのお付き合い有り難うございました。
次回からはいつものように私の周りの出来事を綴っていこうと思います。
またのお越しをお待ちしております。

 

 

'97/9/11「イタリア旅行記(ヴェネチア後編最終版」終わり