No.106 '97/9/22

関西合唱コンクール(その1)


昨日(21日)、初体験で合唱コンクールの 審査をしてきました。
審査の対象は中学・高校生たちの演奏です。
今日はその感想を書きます。

驚きました!
レベルが高くなりましたね。
発声、ハーモニー感、アンサンブル等本当に巧くなりました。
私が10何年か前に聴いていた響きとは随分違っていました。
私がシュッツ合唱団を作ったきっかけは、今までにも書いたり喋ったりしたことですが、当時主流であった合唱の響きに対するアンチテーゼだったんですね。
シュッツ合唱団の響き作り、それはハーモニーやアンサンブルの新しい規範作りであったといってよいでしょう。
関西ではなかなか解っていただけなかったのですが、その評価は先ずドイツから始まり、東京の評論家の方々に広まって、そして今日に至っているわけです。
響き作りやアンサンブルのコツなど、このホームページに書いている事もその過程で生まれたノーハウなのですね。
久しぶりに聴いた中学生や高校生の響きは確実に<新しい響き>となっていました。
<鳴門状態>と私は呼んでいるのですが、各自のビブラートによってハーモニーが揺れ、響きが渦巻いている状態の響きは遠い昔となったと思います。
審査員の中にはまだ、音楽的に内容が深いこととこの<鳴門状態>がイコールと感じる方もおられように思うのですが、出場校の演奏を聴いた限りには確かに響きの価値転換が行われていると感じました。
10何年にしてこれらの響きが鳴るようになったんだと、感慨を覚えます。

朝10時半から始まった審査、終わったのは8時でした。
正直<疲れました>が、真剣に取り組んでいる人たちの演奏を前にしてはこちらも真剣にならざるを得ません。
長い時間でしたが充実感はありました。
失敗談を一つ。
初めての審査員、本人は余り意識していなかったのですがやはり最初は緊張していたみたいです。
失敗はその最初の中学校の混声合唱の部でやらかしてしまいました。
今、その時取ったメモを見ているのですが、これで間違うハズが無いと思うのですが、成績の順番を書き間違えて提出してしまったのですね。
成りゆきはこうです。
審査するとき、出場順に聴いていきますね。
私には初めて聴く学校ばかりでしたから、(前もって予想を付けるということができません)一校づつその演奏に対するメモを書いていきます。3団体目の姫路市立大津中学校の演奏は結構生徒たちが自発的な音楽を聴かせ、ピッチも良く、ハーモニーが安定していました。加えて感心したのは、速くて細かい音符でも言葉が明瞭に聞き分けられた事でした。私はこれに関心したのですね。
日頃の訓練、そして指導された先生の感性に評価を与えました。
印象深かったんですね。
その後最後の演奏である東大阪市立縄手南中学校の演奏を聴いたのですが、実はこの演奏に私は驚きや関心を越えて、彼らの演奏に感動したんです。
聴き終わって目頭が熱くなっていました。
メモには幾つかの項目に渡って「良い」と書かれています。
でもです。

控え室に戻って審査用紙に順位を書いて渡す段にですね、急いだせいか順位を反対に書いてしまったんです。
一位縄手南、二位大津とするつもりだったのが、その反対を書いてしまったのでした。気が付いたのはその後すぐに発表された審査結果でした。でもその時は既に遅かったのでした!
結果は縄手南が一位に成っていましたから良かったのですが・・・・・。

それ以後は失敗や誤りは無かったですよ。
全体の評価としての結果は違っても、私の付けた評価は今も変わり無いものだと思っています。

審査をして思ったことですが、一般的にこういうことが言えるのではないでしょうか。
上位3位ぐらいまではその順位を迷うことがあっても評価は確かなものですね。
そして下位の3つぐらいも確かなんですよ、審査するものにとっては。
その間のランク付けは正直言ってどんぐりの背比べです。
審査する側のちょっとしたことで順位は入れ替わるかもしれません。この辺が難しいところです。

今回、困った問題にぶつかりました。
私が下位につけた学校の演奏にそれが目立ったのですが、指揮をされる先生が余りにも楽譜を無視されるのです。
曲の解釈、あるいは感性によってそうされたとおっしゃるかもしれないのですが、正直その無軌道さ無頓着さにあきれてしまいます。
過度のrit、勝手なテンポの変更、休符の無視、特にひどいのは拍子感の無さとリズム・テンポの勝手な変更です。
私はこれらのような演奏にはハッキリ”NO”を示したつもりです。
あと3回コンクールの審査をします。
これらの基準はこれからも守ろうと思っています。

'97/9/22「関西合唱コンクール(その1)」終わり