No.120 '97/11/10

シュッツ・トーン復活!


いつ頃からか「シュッツ・トーン」を意識するようになりました。
新しい響き作りを目指して創設した合唱団でしたから、その作り出す響きを今更意識するということもおかしい話ですが、無我夢中でやってきたものですから、聴いていただいた方から「シュッツ・トーン」なるものがあるというお話を聞くまでは意識できなかったんです。

その「響き」が、最近私の心を打たなくなっていたんです。
いつも何かが違うと感じていました。
ドイツでの演奏会もそうでした。(しかし、新聞評は好評でしたが)
その後の演奏会もそうでした。
原因は幾つかあり、その解決に頭を悩ませていたんです。

演奏会に行って、感動するということは一様ではありません。
ある人には感動的であっても、ある人にはそうでないことは沢山あります。
「共感」を求めて演奏することを目指しながら、実は私たちのトーンは理屈を越えて「魂」に呼びかける「叫び」を目指していたのでした。
その「叫び」に耳を傾けて下さる方が沢山いてくださいました。
エンタテインメントにも、芸術家にもなりきれず、ひたすら宗教曲などを通じて「魂」への問いかけを考えていたんです。
それが、日本の曲を取り上げて欲しいというリクエストに従ったドイツでの演奏会がきっかけで、我々は新たな課題に取り組んだのでした。

作曲家のメッセージ、演奏する喜び、そして聴衆との共感。
この3っつを兼ね備えなければ良い演奏会とはならないでしょう。
シュッツを中心としてレパートリーを現代にまで広げてきた合唱団。
それらの時代に流れているそれぞれの「魂の響き」を求めて演奏してきました。
日本の現代曲では、キリスト教の曲などに比べれば「共感」は得られるものの、その理解や演奏には困難が伴っています。
その演奏を通して我々の響きは少し中和状態になり始めていたようです。

昨日の東京公演の練習中、合唱団の「響き」が私の求めているものに戻りました。
いつも響かないで苦労していたホールが鳴り響いたのです。
それは私にとって待ちに待った一瞬でした。

演奏者は「語るべきもの」を持って演奏に臨む。
それが演奏するものにとっての喜び。
また聴衆にとって、その新しい経験が衝動となって喜びや感動につながれば・・・

明日もその響きが出ればいいのですが。
そして、東京公演でもその響きを通して「共感」へと繋がる演奏会となればいいのですが。

'97/11/10「シュッツ・トーン復活!」終わり