No.125 '97/11/20

ここはまだ夏の終わり


今、石垣島に来ています。

東京公演を終え、翌日には柴田先生の御自宅に伺い、先生の笑顔の写真を拝見して思わず涙してしまった私です。
「無限曠野」の終曲、団員が流す涙を見て「演奏とは」をまた考えさせられた後だけに、先生の写真は眩しかったです。
一公演づつドラマがあるのが私たちシュッツ合唱団です。
演奏には楽屋話は不必要なのですが、団員一人一人の出来事や変化を無視して私は音楽を語ることはできません。
彼らの心の動きが「音楽」で無いなんて私には考えられないのです。

より次元の高い音楽をと目指しながら、その過程で、心の機微や人の歴史の変化が見えなくしてしまうような演奏は、目的に反して退廃的なものを含む危険性があるような気がしてなりません。

疲れた頭と体を引っ張って、ここ石垣島にやってきました。
静かです。
夏の終わり、それが今の石垣島です。
今日はシュノーケルで浅瀬を泳ぎました。
海中の魚を見ながら色々考えました。
来て良かったと思います。

お宿には若者たちの楽しい笑い声が響いています。
「騒々しい」とも感ぜず、心の静かな時間が流れています。
今夜はゆっくりとスコアが読めそうです。

'97/11/20「ここはまだ夏の終わり」終わり