No.151 '98/5/15

バック・トゥ・チャイナ


昨日の朝、wowowで「バック・トゥ・チャイナ」(95年)なる映画を見ました。
といっても、原稿の手直しなどをしていたものですから、時々ブラウン管から目が離れてしまいます。
その上、出かけなければならない時間になって、最後まで見られませんでした。
でも今日になっても強く印象に残っているんです。

香港映画です。
殺人を犯し、犯罪組織で顔役となった主人公が追っ手を逃れて逃亡し、中国の小さな村へやってきます。
貧しい村での生活を体験することによって、主人公が人間性に目覚めていくというストーリーです。

よくあるストーリーといってしまえばそれまでですが、何故か心に「大きく包み込む優しさ」を画面一杯に溢れさせているのです。
都会での冒頭。そして中盤からは逃亡先の大自然の風景。
大自然の風景は荒涼たる山々が連なり、収穫も乏しく飢饉に悩む村人。
そこで主人公は何かを学んでいくわけです。
私の仕事の手を止め、見入ってしまったのはその大自然の場面でした。
まず映し出されている山々が美しい。
人々が素朴で屈託がない。
村人のたくましさが 浮き上がってくる。
主人公の青年を暖かく包む土地のおじいさん。
そして、そのおじいさんの切なくも胸を打つ悠々の死の訪れ。
どれをとっても<なつかしさ>に溢れる光景なのです。

私が忘れかけていた心の中の風景を垣間見せられた思いでした。

この映画も、香港と中国という歴史的な流れの中で生み出された映画でないかと想像するのですが、最近のアジアの映画は面白いです。
「その国の文化を知りたければその国の映画を見れば解る」と思います。
映し出される風景は紛れもなくその国の<風土>です。
時代設定やストーリーが違っても、画面からはその国の感じ方、文化、人の感性が見えます。
アジアの風景は、私の心の原風景を呼び覚ますのかもしれません。

最後まで見られなかったことに後ろ髪を引かれながら練習に向かう私でした。
一歩外へ出れば立ち並ぶ団地。
まだまだ緑の多い私の住む環境とはいえ、どこか私の原風景とは違う。
そして練習場に向かう頭の中の風景は、明日演奏する世界。それは東欧であり、フランスであり、スペインなのです。

人としての共通点に立ちながらの音楽活動です。
それは、日本人として、私個人として、原風景を抜きにしては本物にはなり得ない。

明日は演奏会。
私は、私の原風景を通して、東欧、フランス、スペイン、そしてヨーロッパ中世を映し出してみたいと思うのです

No.151 '98/5/15「バック・トゥ・チャイナ」終わり