No.153 '98/5/20

「カンツィオネス・サクレ」評


「カンツィオネス・サクレ」のCD評が今月発売された「レコード芸術」(6月号)に掲載されています。

書いていただいているのは、皆川達夫、服部幸三両氏です。

演奏し、それをCDというメディアを通じて世に出す者にとって、聴いていただいた方々の感想は大切な<糧>です。
こうして雑誌などで評を書いて下さる方は、その分野の専門の先生(両氏の著書を読み、ラジオを通じて多くのことを教えていただきました)方であるわけですから、慎重に耳を傾けるといいますか、拝読したいと思っています。

皆川先生の評は辛い評でした。
私たちの音楽スタイル、そして発声による<響き>はまだまだ完成されたものではないとはいえ、先ずドイツで、そしてここ数年来我が国で、多くの方々からご賛同や、賛辞ともいえる評を頂いてきました。
今回、皆川先生のご指摘は幾分想像していたとはいえ、手厳しく、心してこれからも研鑽を積まなければと思った次第です。
「・・・・・これも間違いなく、すぐれた出来のシュッツ演奏である。・・・・・・着実かつ誠実に演奏している。ただし、発声が日本の合唱団の平均値以上のものでは 決してなく、シュッツにふさわしい音質とは必ずしも言いかねる側面がある。器楽畑 の指揮者は発声に無頓着などというゆえない誹謗を受けぬように、声の練りあげを当間さんに切に望んでおきたい。・・・・・・」
この部分とても大切なところだと思います。
今までには無い、新しい響き。「明確に言葉が聞き取れる」「言葉が持つ言葉以前の想い」の<響き>を求めての20年あまりの活動でした。このことはこのホームページを通じ、またあらゆる場所でも喋り、書いてきたことでした。
<発声の平均値以上>、<シュッツにふさわしい音質>、この言葉もう一度考えてみることにします。

服部先生の評は作品に対する深い見識に基づかれ(この評にも曲の解説があります。)、いつも身が引き締まる思いです。
「・・・・それにしても二日連続で番号順に全曲を演奏し、その場で録音をとるというのは、よほどの練習と心構えが必要だが、おかげで全体の流れがよく、一曲一曲が巧みにまとめられ、柔らかくふくよかな響きの中に清澄の気が漲(みなぎ)っている。・・・・当間指揮の演奏は、こうした響き(身を切られるような不協和音、恍惚とした甘美な響き)の再現を中心に、歌詞のはらむアフェクトにも十分に注意を払っている。・・・・」
この後は具体的な演奏に対する感想を書かれています。
そして最後にブックレットにおけるミスも指摘して下さいました。
第17曲目の歌詞の出典が「ヨハネ福音書」となっています。これはご指摘のように福音書からでななく、「聖アウグスティヌスの瞑想」から引用されたテキストで、明らかにミスです。
ご購入して頂いた方にはお手数をおかけしますが、その箇所の訂正をお願いします。

今後も、聴いていただいた方々からたくさんのご意見をお聴きしたいですね。
どんな風にお聴きになられているか、演奏者としては気になるところです。

No.153 '98/5/20「<カンツィオネス・サクレ」評>終わり