No.174 '98/9/9

Halle(ハレ)オプショナル・ツアー後編


ヘンデルの生家、「ヘンデル博物館」の前です。

ヘンデルは「旅人」。この家にも8年間しか住んでいなかったんですね。

門をくぐります。

入った所にMDRのポスターが貼ってありました。
これを見ながら、「夏の音楽フェスティバル」の規模の大きさと、そして
我々にはその演奏会がもうとても昔のことのように感じていたんですね。

ここのコレクションは充実していましたね。
展示物を見ながら感慨にふける我々ではありました。
館内には小さくBGMが鳴っています。それが「ハレルヤ」になったとたん誰彼ともなく歌い始めたんです。(今から考えるとこれがオプショナル・ツアーでの歌い始めでしょう)館内の職員に気兼ねしながらのハミング程度の歌。
それを不思議に思ったのか、職員が「どうぞ、大きな声で歌って下さい」といってくれたときはもう「ハレルヤ」最後のフレーズでした。(残念)
この博物館ではコンサートも行われているよう。時間があればもう少しゆっくりと訪れたいところですね。

博物館を出た我々はマルクト広場へと戻りました。
急ぐ我々でした、マルクト教会が入れるということで行ってみました。

このマルクト教会、実は大変な教会なんです。
ヘンデルはここで洗礼を受けました。そして、この教会のオルガニストであった、ツァッハウに音楽を学んでいます。
1716年、新しく設置されたオルガンの鑑定のためにあの大バッハが訪れて、演奏もしています。
その縁からでしょうか、バッハの長男、ヴィルヘルム・フリーデマンが後にこの教会のオルガニストに就任しているんです。
なかなか興味がつきない歴史なんです。

我々がこの教会に入るときキンダーコーアの練習がありました。
これは面白かったですね。途中で私は合唱団に、代わりに歌ってあげたらどうかと真剣に考えたほどです。微笑ましいというか、のんびりしているというか、これで本番うまくできるのだろうかと真剣に心配したものです。

教会の人は我々に興味を持っているようでしたが、練習を黙って見守り、そして出てきました。(さすが、まだここでは本気で歌うことなど頭にはなかったですね)

とにかく急ぎ旅です。
次の街アイゼナハへと向かわなくてはなりません。この街に一泊することも考えたのですが、アイゼナハでの時間をたっぷり取りたいためにハレには残念ながら数時間の滞在となってしまいました。
駅へ着き、電車に乗り込んだ私を待っていたのは意外な人、それはポツダムで別れたはずのライナーとカトリン夫妻でした。
バッハの街アイゼナハの報告は次回です。

'98/9/9「Halle(ハレ)後編」終わり