No.244 '99/11/18

東京公演の感想


東京公演の感想が入ってきています。
それらに応えるものとして、演奏した者としての印象や、想いを綴っておいてもいいかなと思います。

まず、「カザルスホール」の響きもなかなか難しいものがありますね。
残響ももう少しあると、我々の合唱団には合うと思います。
ドイツ各地の教会(とてつもなく大きな空間)の経験から言うと、声の「鳴らし方」、「響かせ方」が異なるんですね。
到底太刀打ちできないと思わせるような広い空間をも鳴り響かせてきた合唱団なのですが、ちょっとここでは工夫がいるのですね。
でも、これは「カザルスホール」だけの問題ではありません。他のホールも似たり寄ったりですから、こちらがホールに合わせて鳴り響かせる、ということがポイントなんですね。

お寄せいただいたMailやアンケートの中にプログラミングのこともありました。
「すごいプログラムだ」という驚嘆の声の中に、<ヘビー>だという意見もありました。
その通りですね。
どれもメインディッシュが並んでいる様です。
聴く方としてはちょっとお腹一杯の感じですね。
年一回の演奏会ということもありますが(沢山良いものを聴いていただきたいという思いが強いですね)、作曲家と作品の紹介、歴史的変遷とその様式、そして我々の特徴も示したいと思ってしまうと結構<ヘビー>なプログラムと成りやすいんです。
今回は柴田作品がなく、今までよりはインパクトが少なかったという意見もありましたが、今回選んだ曲が今までとは少し趣を変えたということがその印象につながったのかもしれません。

デュリフレの曲やフィンジーの「マニフィカト」が皆さん気にいって頂いたようです。
今後の選曲の参考にしたいと思いました。
後半の邦人曲は難曲でした。それぞれ好評を頂いたのですが、この曲、これからどんな合唱団が演奏するのか少し心配になります。
「巧い合唱団だけが取り組むのかなぁ」「これを歌える合唱団ってどれだけあるのかなぁ」といらぬ事を考えてしまいます。

メインディッシュが並んだ後のデザートは考えましたね。
アンコール、これはストレートに客席に伝わったようです。
結局、演奏者が生き生きと全人格的に取り組んだ演奏が伝わるのですね。

演奏とは、どんなジャンルのものであっても、「いかに生きているか、生きるべきか」を深く表現することなんだと再認識した次第です。

客席も8割方埋まりました。(若い方々も沢山来ていただきました)
曲が終わるごとに盛大に、そして驚きと親しみを感じさせる拍手に包まれました。
ホントに感謝です。ありがとうございます。
東京には年一度の演奏です。
多くの方々から「もっと来てもいいのでは」(これはホントに沢山の方々から、音楽関係者も含めて、頂く意見なんです)というお話を聞きます。
嬉しいことではあるのですが、今の状況ではその日程が取れません。
大阪での活動も今のところ目一杯のスケジュールです。
良い音楽を、そして納得できる練習量などを考えると当分は年一回ということになります。

No.244 '99/11/18「東京公演の感想」終わり