No.264 '00/3/30

キングス・シンガーズの日本民謡


昨日の朝でしたか、衛星放送でキングス・シンガーズの演奏会を見ました。
興味深かったので、それまでやっていた仕事の手を休めて見たんですね。
日本語で曲紹介をしながら、もちろん日本語で歌っています。
興味深かったのは、その日本語の発音と編曲です。
編曲が面白くて聞き込んでしまいました。(もちろん演奏もよかったです)
もう一つ考えさせられたのはその発音です。

我々がドイツで演奏会をするのとちょうど逆のことを見ているわけです。
我々がドイツ語でシュッツやバッハを演奏するように、彼らは遠く日本にやってきて日本民謡を歌っています。
その発音はよく訓練されていて、りっぱなものでした。
しかし、細かく言えば<変>な発音があって、しかも歌では歌詞がよく聞き取れないこともしばしばです。
(しかし、ひんしゅくをかう覚悟でいうならば、我が国の歌手が歌う日本語よりはよくわかりました)
我々のドイツでの演奏もきっとドイツ人にはこんな風に聞こえているんだろうか、と想像して聴いたんです。

彼らの演奏は日本語が少し変と感じたのですが、その<変>を補って余るほどに演奏に魅力を感じたんですね。
編曲の面白さを感じ、言葉の発音の違いを楽しみ、表情の変化を楽しみ、アンサンブルの巧みさに魅了し、歌っている人のそれぞれの個性を楽しみました。
それらの楽しみが感じられるような、精度の高い演奏内容でした。
日本人の合唱団が歌っている民謡の演奏より、私は楽しめましたね。
それほどに、それぞれの曲に適した情緒を醸し出していたと思います。
私は上のような楽しみを感じながら、彼らたちの演奏そのものに魅力を感じていたんですね。
別な言い方をすれば、編曲者も含めた彼らたちの「日本民謡の解釈」を楽しんでいるんです。

閑話休題
ヨハネのことですね。
バッハの音楽はテキスト抜きでも楽しめます。
しかし、受難曲はテキストが解らなければ面白くないでしょう。
何一つテキストの意味を理解することなく、音楽だけを聴いて満足するといった方がおられたら、それは驚きです。
レチタティーヴォを音楽としてだけで楽しむ。もうこれは究極的なものですね。

バッハの器楽曲は問題なく楽しめます。
しかし、カンタータや受難曲、ミサ曲といったテキスト付きの曲はちょっと問題ですね。
ここに、演奏する者にとって、そして聴衆にとっても難しい問題、壁ができるんです。
そしてです。仮にもしテキストを理解したとしても、その内容に関心が持てなければ面白くないんじゃないかと思うんですね。
聴く気も起こらないのではないかと思うんです。どうでしょう。

この続きは次回にしましょうか。
明日の朝、オーケストラの練習です。
どのような「ヨハネ」が浮き出てくるか、その報告もすることにします。

No.264 '00/3/30「キングス・シンガーズの日本民謡」終わり