No.266 '00/4/3

【ヨハネ】演奏会場での練習


日曜日、合宿での練習を終え、神戸へと移動してオーケストラと合わせをしてきました。
会場としてお借りすることを許してくださった聖ミカエル教会には感謝です。

初めてお越しくださる方のために会場練習での感想を書いておきましょう。
参考になさってください。
我々にとっては少し手狭です
演奏者の場では、横幅も奥行きも余りとれません。
建物は縦長ですので、余り私は気にならないのですが、お聞きになる方にはいかに映るか、気になるところです。
天井は高いのでこれも申し分ないのですが、敷物のため、そして壁の材質のため、あまり残響はありません
また、練習をしていて気になったことは、外の音ですね。
道路に面しているので、車などの音がよく聞こえます。
「イエスの死」の場面で、救急車が走りました。
福音史家の頃安さんが小声で、「イエスが救急車で運ばれたようですね」、これには笑いましたね。

この条件、会場の音響を重要視されるかたには不評となることでしょう。
また、私などは教会建築として見慣れたもので心が休まる思いなのですが、カトリック的な教会を想像される方には違った印象を持たれるかも知れませんね。

練習はまず、音響を整えることに時間がとられました。
敷物が取れないため、薄いベニヤ板を敷きました。
そして、楽器の並びを変えました。
これが面白い効果を生みました。
弦楽器群が左手側、管楽器群が右側に位置します。
フルートやオーボエが合唱のソプラノと離れてしまうため、奏者にとっては勝手が違って音を合わせるのに困難を伴うかもしれないのですが、会場の響きとしてはこれが結構バランスのとれたものになったんです。

合宿での合唱団の練習は「歌詞読み」に徹しました。
私の訳を読みながらテキストの内容を確認です。
演奏上のアンサンブルで若干の手直しを必要とする曲はありましたが、全体としてはまずまずの出来映えといっていいでしょう。
後は、いかに迫真に迫った内容になるかです。

音に集中できる環境でなければなりません。
演奏は美しいものでなければなりません。
演奏は錬磨されたものでなければなりません。
それがプロとしての演奏だと思います。
つまり「下手」ではだめなのですね。
しかし、と私はいつも思うのです。
より大切なものがある、と。それは演奏するものが「何を言いたいか」「何を伝えたいか」なんですね。

カンタータや受難曲が難しいのは、その内容にあります。
バッハの器楽曲を楽しむようには、これらの分野の曲はそう簡単なことではないわけです。

私は練習時に必ず言う言葉があるんです。
それは、「お客さんは全部がクリスチャンではない。全部がバッハを理解しているわけではない。
楽しみ方、興味のあり方は人様々。
我々にとって大切なのは、作品からどうメッセージを読みとるか。そしてその次に大切なのは感覚的なものだけではなく、精神を揺り動かす響きを我々は作れるか否かなんだ」と。

この作業、今週いっぱいまでかかります。

No.266 '00/4/3「【ヨハネ】演奏会場での練習」終わり