No.316 '00/8/25

25年を振り返ります(1)「動機」


1976年、私がオルガニストを務めていた浪花教会が創立百周年を迎えました。これが「大阪コレギウム・ムジクム」発足の間接的な動機です。

前年の1975年、教会では「準備委員会」が設置され、記念行事が計画されました。
教会役員の中に演劇関係者がおられ、その方の勧めもあって「オペラ」の上演が決定。
「祈り」という創作オペラで、その準備のために私は「器楽アンサンブル」、「合唱団」を創設する必要ができました。

この経緯の中で、1975年11月、演奏団体「大阪コレギウム・ムジクム」の構想が生まれたのでした。
記念行事とは別に、「教会で教会音楽を」との思いもありその後の定期的な演奏会へと進展していきます。
「アンサンブル・シュッツ」が生まれ、そして1977年、「大阪コレギウム・ムジクム合唱団(現「大阪ハインリッヒ・シュッツ合唱団」」(今年2000年、元の「大阪コレギウム・ムジクム合唱団」に改名します)が産声を上げます。

オルガンを通じて<教会音楽、バロック音楽>に傾倒していた私は、教会オルガニストとしての経済的な基盤をピアノ講師、家庭教師等による謝礼に置き(オルガニストとして教会からも少しですが謝礼が出ていました)、演奏では「テレマン協会」や当時の「大阪放送合唱団」の録音などに出演しながら活動をするといった生活でした。
父の死が(母は私が高校の時亡くなりました)、直接的、間接的に大きな影響を与えたと思っています。
私の活動が積極的な演奏活動へと変わったのはこの父の死の影響と、青春における様々な大きな悩みによっています。

教会での記念行事がきっかけとなって私の演奏活動が始まりました。
最初はささやかな演奏会。私が弾くチェンバロやオルガン、それにフルートやヴィオリン、オーボエが加わりました。
練習は教会や私の家(その頃の我が住処は練習場)。
最初の頃はお客さんと出演者の数が同じというようなこともありましたが、必死でしたからそれで落ち込むということもなく、<前進あるのみ>という意気込みで始まったのでした。

仲間も増え、お客さんの数も次第に増し、協力を申し出てくれる人もあり、順風満帆のごとく船出したかのように思えたのですが・・・・・。

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