No.321 '00/9/4

25年を振り返ります(6)「私の目指した響きとは?(真面目編)」


私が演奏活動をはじめた頃の合唱界は合唱連盟に参加していた「アマチュア合唱団」の全盛時代でした。
その合唱界では関西のレベルが高いとの評価でしたから、全国的にみてもトップクラスということだったでしょう。

バロックやそれ以前の音楽では、私がお世話になっていた「テレマン協会」、そしてブリーゲン氏によるカトリック音楽の指導や演奏による先駆的な活動が関西にありました。(実際、私はその中で多くのものを学ばせていただきました)
しかし、私の目指した音楽はオーケストラにおいても、合唱においても、それらを継承しようとするものではありませんでした。

最初には器楽アンサンブル、室内オーケストラ作りを目指していた私でしたが、いつ頃からか、多くの人たちと音楽を共有するためにも音楽愛好者のすそ野を広げることを優先させようと思い始めていました。
演奏会を行いながら感じていたのだと思います。
それには先ず合唱での実践。それが形として示せる近道だと判断しました。
アマチュアを含めた活動。それには先にも書きましたが、当時には私が目指した音楽を実現可能にする人材育成の音楽環境がなかったという事情があります。
「音楽好き」「歌好き」を集めての活動開始でした。
私が目指した音楽?
私の関心は、「分かり易いこと」、すなわち「何をしたいのか」「何を言いたいのか」を明確にすることにありました。
そして、人の営みにおける「特質」「特性」としての「個性」ということにありました。

それらの音楽作りは「本質の追求」へのアプローチでした。
作曲家の本質、作品の本質、時代の本質、人間の本質、演奏の本質を探ること。
よくいわれることですが、音楽芸術としての「美の追求」(整った音楽としての美しさ、声や音の美しさ)は私にとって最重要項目ではなかったのでした。
初期の演奏会では、アンケートなどに<整った美しさ><音や声の美しさ>という言葉とよく出会いました。(もちろんその意図するところは、もう少しそれらの<美>も与えて下さい、ということでした)
優先順序が私は違っていました。
もっとも大きな関心事、それは演奏を通じて「何を言うか、何を伝えるか」にあったのです。

意図を理解して頂くためには「分かり易さ」が必要でした。
そのためには「作られたもの」(非日常的なもの)としてではなく、現在の生活(日常的なもの)に即したものとしての「日常性に繋がる響きと抑揚」が必要だと考えたのでした。
非日常的な発声としての、異文化の発声ではなく、
作られたものとしての不自然な音の流れと抑揚ではなく、
音と言葉の自然な流れと明瞭性、明澄性。
これが私の描いた合唱音楽の根幹を成すものだったのです。

合唱団づくりに目標が掲げられました。
新しい発声法による新しい響きづくりが始まりました。
練習に弾みと勢いが加わりはじめ、合唱の響きは私の予想を上回って変化し始めたのでした。

No.321 '00/9/4「25年を振り返ります(6)「私の目指した響きとは?(真面目編)」」終わり