No.322 '00/9/6

バッハ「モテット」は面白い


バッハの「モテット」って彼の作品の中ではあまり話題にならない作品ですね。
器楽作品や、カンタータの話題性に比べれば、少し気の毒なほどに忘れられているような気がします。
でも、「モテット」は面白いんですよ。

バッハの時代、すでにこの「モテット」は時代遅れとなっていた様式なんですね。
彼はどうもこれらの曲を生活費の助けにするために書いたらしいのですよ。
お葬式や、個人を偲んだ追悼礼拝などで演奏するために依頼されて作曲したんですね。
しかしそこはバッハ、安易な曲は書きません。とんでもなく技術的にも、内容的にも濃いものを書いてしまうんです。

今回演奏する「イエスよ、私の喜び」は教会の牧師さんのように「説教」をしてしまう曲です。さぞかし当時の牧師さんは驚いたことでしょうね。
当時の市民が歌い、このよく知っていたコラールと、聖書の中でも最も重要な教えの一つであるとされている「ローマの信徒への手紙」、それも中心的な教え、難解なところを結びつけて曲に仕上げてしまうのです。
コラールは出てくる度に、歌詞の内容に即したアレンジとなっています。交互に出てくる「ローマの信徒への手紙」のテキストを用いた部分はもうバッハの信仰告白を聞いてしまうほどの表現力です。
これほどの雄弁な語りはそう聞けるものではありません。バッハはきっとお喋りだったんだと思うんですね。

「来て下さい、イエスよ、来て下さい」というモテットはとても簡潔な曲です。しかし、中身は詰まっていますし表情もどんどん変わるといった変化の多いものです。
トーマス教会の聖歌隊ではこの曲を「苦難の道」と呼んでいるとか。「der saure Weg (苦難の道)」という歌詞に付けられた音程が7度という歌いにくいものなんですね。この曲の演奏にはさぞかし昔から苦労したことでしょう。

でも難しさでは次の「主に向かって新しい歌を歌え」が何といってもダントツです。
この曲の細かい音符を歌うのは至難の業です。
もう急がしいったらこの上ないです。
でもそれが喜ばしい、輝かしい気持ちを放つ上で効果は抜群です。
死期の迫った33歳のモーツァルトがこの曲をトーマス教会で聴いて感激した話はあまりにも有名です。

「モテット」を歌う、これはバッハによる歌の試験だと思ってしまいます。
当時の聖歌隊員たちも同じように思っていたのではないかと想像するのは楽しいです。
練習曲、課題曲としては最適ですものね。(笑)
でもこれらの曲が時代を通じて他のバッハの曲に比べればよく演奏されていたということは納得できることです。
実用的であるということに加えて、練習曲としての価値も十分だということなんですね。
クリアしたい、挑戦したい気持ちがわき起こってきます。まぁ大変な曲です。(笑)

今度のプログラムでは、バッハをこよなく愛した武満 徹の「うた」から、「さくら」「翼」「島へ」「小さな空」を聴いていただくことにしました。
二人の世界はあまりにもかけ離れているように思えます。
しかし、西洋の「うた」と東洋の「うた」、この対比は興味あるものだと思うのですがいかがでしょう?
武満の「うた」が練習曲にはならないというのはちょっと悔しいのですが(笑)。
武満が易しいということではないんですよ、困難さはバッハに匹敵します。いや見方によればそれ以上の難しさがあるかもしれません。
しかし、あまりにも神経を使うために「練習曲」にはならない、したくないということですね。こりゃまた大変な曲ということなんです。(笑)

No.322 '00/9/6「バッハ「モテット」は面白い」終わり