No.402 '01/12/17

ご来場ありがとうございました


「ミサ曲ロ短調」のご来場ありがとうございました。
このページを通じてご来場のお礼と、少しばかりの後書きをさせていただきます。
演奏会にお出でになれなかった方には申し訳ないのですが、演奏会の報告、指揮者の感想とお思い下さい。

バッハの音楽は「知・技・心(信)」が問われる音楽です。
<知>は知識ということですね。
バッハ研究、作品研究の成果を取り入れた演奏が望まれます。知識欲がこれほど演奏と一体感を示しているのはやはりバッハ音楽の特徴です。
何も指示されていない出版楽譜(原典版)。そこから、テンポ、強弱記号、アクセント、緩急法といった演奏に必要な記号をどんどんパート譜に書き込んでいきます。その解釈に研究成果が盛り込まれて行くわけです。
<技>は演奏上でのテクニックですね。
音符がギュウギュウ詰めにされているバッハの音楽。
奏するだけでも大変な上に様々なアーティキュレーションを必要とします。腕や指や舌や頭がフル回転です。最高度のテクニックが要求されます。
<心(信)>とは音楽家の精神性、そして信仰ということでしょうか。
これが時折問題になるやっかいな代物です。
バッハを聴く、あるいは奏するにはキリスト教の信仰が必要なのか?ということですね。
結論を言うならば、カンタータやミサ曲といった教会音楽には当然ながらキリスト教の知識が必要です。そして出来れば信仰というものが体現できていればなお良い、ということでしょうか。
キリスト教界(当時の宗教的環境)の中でのバッハの立場、バッハの信仰心が想像できないで演奏することは不可能だと私は考えます。
しかし彼が書いた教会音楽ではない器楽曲は、これもまた当然のことではありますが、キリスト教の知識がなくとも理屈抜きで楽しむことができます。

「ミサ曲ロ短調」は勿論宗教的楽曲です。典礼に用いられるために書かれたのではない楽曲という性格をもったものですが(バッハの思想、理想が反映した楽曲)、典礼文に関する詳細な考究が成されなければ演奏解釈はできません。
今回もそれらに立って演奏を試みました。
「平和祈願」としてのメッセージ、皆さんにはどのように映りましたでしょうか?

今回の演奏に関する覚え書きのつもりでポイントを書いておきます。
まず、オーケストラは向かって左側に弦楽器、右側に管楽器を配置しました。
リハーサルを続ける中で一番しっくりした配置とでした。
しかし、トランペットとティンパニーが随分私から離れた位置となってしまい、タイミングのズレがちょっと心配でした。
ティンパニー奏者からは部分的にヴァイオリンが殆ど聞こえなかったそうです。
ビオラがヴァイオリンの後ろになったことも奏者にとっては弾きにくかったことでしょう。
コンティヌオ群ももう少し理想としては中央が良いのですが、これも右側に寄りすぎましたね。
改良の余地はあれ、この配置が気に入りました。管とのコンタクトがダイレクトに取れます。来週の「クリスマス・コンサート」もこの配置で臨むかもしれません。

会場での響きかたが座る位置によって随分印象が違うようです。
正反対の印象を座る場所によっては感じられるようなんですね。
演奏者としては何処で聴いて頂いても同じように響くよう演奏したいのですが、これがなかなか中ホール規模の会場では困難なことが多い、というのが経験からくる感想です。
また、今回は「大阪コレギウム・ムジクム合唱団」全員での取り組みとしました。これは歌う団員一人一人にとってのバッハ音楽との出会い、「ミサ曲ロ短調」との出会い、そしてバッハのメッセージとの出会いとしたかった理由によります。その結果としての演奏にどのような印象を持たれたでしょうか。

半分強の入りだったそうです。
その中に多くの若者の姿を見ることができました。嬉しいです。(プレイガイド等でもチケットがよく出ていたそうです。バッハ・ファン、そして私たちを応援して下さる方々が来て下さいました。本当に感謝です)
前回にも書きましたように、バッハをあまり聴いたことが無い方、知識や慣習といったことに慣れない方々にとっても興味を持っていただけるような演奏ができればと願っていました。
バッハのメッセージを演奏でお届けしたい。それが私の姿勢でした。
バッハの音楽の楽しさを伝えたい、それが私の願いでした。
どのような印象をもたれたか?忌憚のないご意見を伺わせて頂ければ幸いです。

No.402 '01/12/17「ご来場ありがとうございました」終わり