No.406 '02/1/3

やっぱり素敵な仲間


人にはそれぞれに特技とか、才能があります。
それを見つけたり、伸ばしたりするのも私の役目だと思っています。

団の創設者が指揮者も兼ねているという集まりでは(つまり私の団ですが)、何もかもが一方通行になりがちです。
指揮者から団員への<矢印>が主となって、団員からの<矢印>が弱くなりがちです。
それでは面白くないと、私は思うのです。
団員からの積極的で、自発的な表現としての<矢印>がないかぎり良いものが出来るわけがない、と私は思うのですね。

その為にも、入団してきた人たちが持っている才能を団で発揮してもらわなければなりません。
始めから<才能>を発揮できる人は良いのですが、実は持っているのに本人が気づかない、あるいは発揮できないでいるといった場合もあります。
それに気づかせ、伸ばすことのできる<場>、そういう団でありたいと思っています。

我々の音楽集団は音楽だけが出来ていれば良いといいうわけではありません。
<個人としての才能(技)>は部類の<個>であるかもしれないのですが、集団では人と人とを結ぶ才能も持ち合わせていなくてはならないわけです。
一人の人間として、幅広い社会性をも伴っていなければならないと私は考えます。
そうでなければ人の集まりが面白くありません。
そうでなければ人の業(わざ)としての広がりがないように私には思えるのです。

いろいろ書きましたが、私の団のそれぞれの個性ある才能を見る度にそのことを誇りとしたいと思ってしまいます。
スキーを教えるのが上手い人、細やかな神経で集団を和ませる人、人の心を明るく、朗らかにする人、料理に舌鼓を打つ人、気配り、目配せの人(悪い意味ではありません)、それはもういろいろな性格の人が集まっています。
会計の人、旅行計画を立てる人、チケット手配をする人、お宿との連絡をする人、これはプロ並みですね。
これらの行事を通じて、始めお世話をしてもらうだけの人たちがいつの間にか人の世話をするようになる、これが私たちの団の誇るべき特徴なんです。

下の写真が、「白馬さのさか」で集まったその集団です。

団の約半数が集まった「正月スキー」です。
研修旅行みたいだと、前にちょっと冗談で書いてしまいましたが、そう当たらない事でもないのですね。
自分の可能性を探る、広げる。
その次は自分以外の人たちの可能性を知る。
更に、その可能性を自分たちの周りだけでなく、広げていく。
それが、「人の本質を探る」ということに繋がるのではないか?そう思うのです。

人の集まりは楽しいものです。
いや、楽しいものにしたいと思います。
<個人>としての魅力、<個人の才能>の尊さ、それが集団としてもバランスを保つ。
そういう団になりたいですね。

No.406 '02/1/3「やっぱり素敵な仲間」終わり